いっぽうで、日本では明治以来、実際にはエリート層とそうでない層の違いや、戦前までは華族令などがありながらも、戦後、国民は「一億総中流」という言い方で、みんなそこそこの生活をしている中流なのだという幻想を信じていました。しかし、その幻想を信じ続けるにもそろそろ限界がきています。コロナでそれがはっきりしました。
現状は、持ち家を持たず、子どもを生まないことで、お金を使わず、中流的な消費生活をかろうじて維持しているにすぎません。もはや一億総中流ではないことに誰もが気付き始めたのです。そして、それはコロナで格差が可視化されたことが大きいでしょう。
では、デフレで、賃金が上がらず、中流の夢もやぶれた多くの人々に未来はないのでしょうか。そんなことは決してありません。ここまでお話ししてきたさまざまな不条理や格差を踏まえてもなお、誰でもがんばれば自分の人生を生きることができます。重苦しい、息苦しい閉塞感に囚われていても、そこから抜け出すことは可能なのです。そして、その方法として役立つのが『後世への最大遺物』で説かれていることなのです。
脅す宗教と脅しのない自己啓発
苦しい時代をどう生き抜くか。そのアプローチには、宗教と自己啓発があります。自己啓発本と宗教の教えとはときとして似通って見えます。ただ、決定的な違いは、宗教はその教えを信じないものは地獄へ落ちるのだと脅しをかけるようなところがあり、自己啓発は信じないならどうなる、という説き方はしないという点にあります。
たとえば、キリスト教・プロテスタントの教派のひとつにカルバン派があります。キリスト教にもほかの宗教と同じく、さまざまな教派がありますが、カルバン派はそれまで主流だったキリスト教のローマ・カトリック(カトリシズム)に対して、神と聖書を絶対のものとして、キリスト教を解釈しなおし、当時としては新しい説を唱えました。カルバンによると、人は生まれる前から予めこの世で成功するか成功しないか(救済されるかしないか、そして天国に行けるかどうか)が、神によって決められているというのです。これを二重予定説といいます。成功する人としない人の二通りという意味です。成功する人として生まれた人は、神様のおかげなので、自分に与えられた能力や技能を使って、真面目に働いて、それでもうけたお金は、もともと神様から与えられた能力のおかげなのだから、神様に返さなければならない。そのとき、神様に直接お金を返すことはできないから、神様が喜ぶように、自分の周囲の人たち(隣人)を助け、社会をよくすることにお金を使う。そうすることで、神様から与えられたものを神様に還元する。このように考えます。そして、選ばれていない人はこの世の人生で成功しないと考えます。こういう人は死ねば滅びるというのです。