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2021/03/25

“魔球”ナックルボールとの出会い

 そして運命の出会いが訪れる。部活を引退し進路や今後野球をつづけるか迷っているとき、父親からある映像を見せてもらった。

 それはボストン・レッドソックスのティム・ウェイクフィールドのピッチングだった。力感のないリラックスしたフォームからふわっと投げ出されると、ボールは不規則な軌道を描いた。まるで打者を手玉に取るような魔球。そう、ナックルボールである。ウェイクフィールドはこの無回転ボールを武器にメジャー200勝を達成した名投手であり、その姿に吉田は天啓を受けた思いだった。

「ナックルだったら女性でも投げられるかもしれない。それにこの変化球があれば、男性と勝負できるかもしれない」

 女子野球がまだ一般的ではなかった時代であり、吉田の頭のなかには男女の壁は存在しなかった。またナックルを知ったことでNPBやメジャーで投げることを夢見るようになる。

©️文藝春秋

 高校に進学すると、吉田はクラブチームに所属し、理解ある大人たちに見守られとにかくナックルを投げまくった。

 誰も投げたことがないから教えられる人間はいない。

高校2年生にしてプロ野球選手に

 教科書は雑誌の変化球特集だった。暗闇を無灯火で進むかのごとく吉田は試行錯誤し、ついに高校2年生のときボールは無回転で不規則に変化した。ナックルをものにしたのだ。

 これをきっかけに吉田の野球人生は大きく花開いたといっていいだろう。発足されたばかりの関西独立リーグのトライアウトにチャレンジするとドラフトで指名され、高校2年生にしてプロ野球選手になった。

2008年ドラフトで関西独立リーグ入り ©️文藝春秋

 冒頭で述べたように“ナックル姫”はメディアの寵児となったものの、現実はそう甘いものではない。吉田は2009年のデビューイヤーで主にリリーフとして11試合に登板し、防御率は4.63。決して芳しいものではなかった。

「1年目は右も左もわからない状態で、野球をしながら野球以外のことにも追われ、頭のなかが整理できませんでした。一番はすごく応援してもらっているのに結果を出せなかったことですよね。これまで野球をやってきて一番苦しい時期だったかもしれません……」