ルポライターの安田峰俊氏は現在、逃亡した技能実習生や北関東の家畜窃盗事件などを追ったノンフィクション『「低度」外国人材』(KADOKAWA)を刊行するなど、在日外国人問題への取材を精力的におこなっている。そんな安田氏が『文藝春秋』4月号に寄稿したのが「『死亡ひき逃げ』ベトナム元技能実習生の告白」だ。
逃亡技能実習生をはじめとした、ベトナム人の不法滞在者やコロナ禍による帰国困難者たち(彼らのSNSコミュニティの名称から、本記事では「ボドイ」と呼ぶ)の間では、無免許運転がほぼ野放し状態となっている。2020年末には茨城県古河市内で、ついに日本人男性が被害者となる死亡事故が発生した。犯人への接見と裁判傍聴から見えてきた真実を安田氏が緊急寄稿する。
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裁判官の心証、最悪
「免許がないのに運転をしたのはなぜなんですか?」
「……」
2021年3月4日、水戸地方裁判所下妻支部の初公判。法廷内には弁護士(国選弁護人)がおこなう被告人質問の声と、それをベトナム語に通訳する法廷通訳者の無機質なつぶやきだけが響いていた。
対して、本来は自分を守ってくれる存在である弁護士からの質問にもかかわらず、無免許運転のうえで死亡ひき逃げ事件を起こした被告人のベトナム人女性、チャン・ティ・ホン・ジエウ(30)は、しばしば無言のままだった。
その後、検察官がおこなう反対質問に移るとジエウの沈黙はますます増え、彼女は証言台で棒立ちを続けた。途中からは裁判官も露骨に苛立ちはじめ「答えはないのですか」と催促を繰り返した。被告人に対する心証は最悪だろう。
もっともジエウの沈黙は、黙秘権の行使といった積極的な動機ゆえではなく、彼女が裁判の意味をまともに理解していないためだろうと思えた。
ベトナム東北部フート省の農村生まれの不法滞在者・ジエウにとって、裁判で用いられるような難解な語彙は、たとえ通訳をされたところで理解が難しいはずなのだ。事実、後日になり私が彼女に2回目の接見をおこなったところ、ジエウは「弁護士」が裁判でどういう役割を担う存在なのかさえ、ろくに理解していなかった。
相手が弁護士か検察官か裁判官かを問わず、自分よりも立派そうな人間から難しいことを言われたときは、ひたすら沈黙してやりすごす。もしくは「がんばります」「日本の技術はすごいです」といった紋切り型の日本語を呪文のように唱えてごまかす――。一部の技能実習生やボドイらが見せるこうした反応は、すでに私にとってはお馴染みのものでもある。