文春オンライン

2021/03/28

――開き直り。

山田 それまではカッコつけていたんです。世間からこう見られているんじゃないかとか、あんなに仕事していたのに今は現場に行くと後輩のほうがデカい顔してるとか、周囲の目を気にしていた。気にしているから悩むんです。でも、悩むのをやめました。「もういいや、どうにでもなれ」と開き直ることができたんです。

 もう一回やってみて、これでダメならしょうがない。そのとき、38歳。最初にやったことが本名の山田俊司から「キートン山田」への改名でした。名前はすぐに決まったけど、事務所からも反対されましたし、恩人の柴田秀勝さんからも直接「お前、ふざけてるのか」と言われました。それぐらいインパクトがあったんです。

――声優の世界でこのような名前の人はいないですよね。

山田 お笑い芸人みたいだしね(笑)。ただ、これはどん底で考えた知恵なんです。それまでは、何か反対されると素直にやめてしまうタイプでした。初めて自分で突っ張って、やり通したのが改名だったんです。

 一回死んで、強くなったのかもしれません。改名を発表したら、急に夢が膨らんできました。

©深野未季/文藝春秋

他にない味を出せたのは、それまでの人生の結果

――挫折を経験して、44歳で『ちびまる子ちゃん』に出会うまでの期間は山田さんにとってどんな時期でしたか?

山田 何でも来い、って感じでした。何が来ても、恐れず、ひるまず、媚びずにやっていこうと思っていたので、生き方が楽になったね。

――それまでの経験が「キートン節」に結実していったのですね。

山田 そうだと思います。他にない味を出せたのは、努力だけでなく、それまでの人生の結果なんです。本当は声優だってみんな個性を持っているんですよ。それぞれ歩んできた人生があるわけだからね。でも、技術でカッコをつけていると、どうしても似てきてしまう。それでは技術があっても消えてしまいます。残っている人は、みんな個性を突き抜けているんですよ。