3・11直後、震災応援のときのとっちゃんの記録が残っていた
あれから1年、また3月が巡ってきた。7日の命日、18日は手記公開と提訴から1年。その間に3・11の日がある。多くの方が犠牲になった東日本大震災から10年。同じように大切な人を失った一人として祈りを捧げに行こうかな。そう考えていてふと思い出した。
「とっちゃん、震災直後に被災地に出向いたはずだ。財務局で派遣職員の募集があって、真っ先に手を上げたと話していた」
社会貢献が口癖だったとっちゃんらしい行動だ。10年前のとっちゃんのメモ帳を開くと、……あった。2011年4月のページ。
「4/25~29 七ヶ浜町役場へ支援(5日間)」
震災から1か月半ほどの時期に宮城県七ヶ浜町に支援に行っている。町役場で調べてもらったところ、この時のとっちゃんの記録が残っていることがわかった。業務中の写真もあるって。よし、行くしかない!
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遠く離れた被災地の写真で出会ったとっちゃん
3月9日、正午。JR仙台駅に僕らは集合した。僕らというのは、赤木雅子さん(50)と映像ドキュメンタリー作家の久保田徹くん(25)、それに執筆者の相澤冬樹(58)の3人。久保田くんは雅子さんのドキュメント映像を撮り続けている。今回の旅もすべて同行してカメラに収め、10分余りの作品にまとめた。
(動画のリンクは記事の末尾に)
若いけど考えがしっかりして頼りがいがある。どんな大人より発言が大人びている。赤木さんは迷った時、久保田くんの助言を最も信頼している。息子がいたら彼くらいの年になっているのかな、とちょっと切なく感じるそうだ。
レンタカーで1時間弱。七ヶ浜町役場に着くと、秘書係長の植杉淳一さんと総務課長の高橋勉さんが出迎えてくれた。植杉さんは事前に赤木俊夫さんのことをいろいろ調べてくださった。コロナ対策でアクリル板の仕切りが置かれた応接室で、町長の寺澤薫さんが応対してくれた。実は寺澤町長は10年前の震災当時、役場の地域福祉課長で、俊夫さんたち支援に訪れる人たちの受け入れにあたったそうだ。全体写真に俊夫さんが寺澤町長と一緒に写っている。
「こちらをご覧下さい」
町長が差し出してくれたのは、罹災証明の受け付け会場の写真。そこにとっちゃん(俊夫さん)がいた。真剣な表情で被災した方の話に耳を傾けている。雅子さんがよく知る、いつも笑顔のとっちゃんとは違う。雅子さんの知らない、被災地で公務中のとっちゃん。初めて見る姿に目が釘付けになった。命を絶って3年、遠く離れた東日本大震災の被災地の写真で出会うなんて。心がざわついた。