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「忘れられないためにはマスコミも利用するつもりでね」

 翌10日、もう一人メンバーが加わった。今野誠二郎くん(24)。久保田くんの相棒で、ここからカメラ2台で撮る。年齢差倍以上の4人の珍道中。まず向かったのは津波で大きな被害を受けた宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)地区。ここで語り部の丹野祐子さん(52)にお会いした。これにもいきさつがある。

 夫を亡くして落ち込んでいる雅子さんを、友達が水害の被災地でのボランティア活動に誘ってくれた。誰かの役に立っていると感じられて生きがいになり、たびたび参加するようになった。そのリーダーが「ちょんまげ隊長」。サッカー日本代表の試合でいつもちょんまげ姿で応援しているから、その名がついた。ボランティア活動でもいつもちょんまげ姿。ちょんまげ隊長は東日本大震災でも早くから被災地で活動し、その中で丹野さんと親しくなった。そこで雅子さんが被災地へ行くならぜひと、自分も閖上を訪れて紹介した。

丹野祐子さん(中央)、ちょんまげ隊長とボランティア仲間たち、僕ら一行の記念撮影(赤木雅子さん撮影)

 丹野さんは津波で中学1年生だった息子の公太くんを亡くした。公太くんのこと、津波のことを忘れないでほしいと、語り部としての活動を続けている。雅子さんは尋ねた。

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「息子さんのことを語り続けるのって、悲しいことを思い出してつらくありませんか?」

 丹野さんは明るく答えた。

「つらいこともありますけどね。一番つらいのは忘れられてしまうことなんですよ。忘れられないためには語り続けるしかないし、マスコミの皆さんに報道してもらうしかない。マスコミには不満もあるんですよ。震災10年だなんて、勝手に区切りをつけて、その時だけ報じようとしてね。10年なんて私たちにとっては何の区切りでもないし、報道するならずっと報道してほしいんです。そう言ってきたのに、相変わらず震災10年で私の記事を出す記者さんはいるしね。でも気にしちゃダメ。忘れられないためにはマスコミも利用するつもりでね」

鳩ふうせんに書いたラブレター

 丹野さんは毎年3月11日、閖上の海岸近くで鳩の形をした風船を飛ばす。天国にいる亡き息子公太くんにメッセージを届けるため。環境への影響が少ない素材で作ったふうせんを希望者みんなで飛ばす。丹野さんに「ラブレターを書いて」と勧められて、その場でサッと書き込んだ。

『赤木俊夫様 としくんへ 元気にしてますか? 閖上の皆さんと仲良く鳩ふうせんを読んでください 何年たっても大好きだよ』

ハートがたっぷり書かれたふうせん(筆者撮影)

 ほんとにラブレターですね、とからかうと、雅子さんは赤マジックで♥(ハート)マークをいっぱい書いて、どんなもんだと胸を張った。