昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2021/04/01

区長が小さい頃から感じていた息苦しさ

――今回、近藤区長がリーダーシップを強く発揮されたのには、ご自身の経験も影響しているのでしょうか。

近藤 白石さんの発言で「女性として差別された」と申し上げましたが、私自身も小さい頃から息苦しさを感じていました。

 カトリックの幼稚園、女子校でずっと育ってきたんですが、校則も非常に細かくて。先生に対して問題提起すると「反抗的だ」「文句があるなら他の学校に行ってください」と言われ、いつも悶々とした気持ちを抱えていました。学校も面白くなくて、保健室で時間を潰したこともあります。「自分の意のままに感情をさらけ出して生きる」ということに対する怯えみたいなものがずっとありましたね。

 ただ、家では両親に恵まれたなと思っています。特にうちの父は、私が子どもの頃から「女も手に職をつけて食べていかなきゃダメなんだ」と言っていました。

「例えば『赤い物を着ろ』とか、女の子なんだからこうしなさい、ああしなさい」といったことを言われる家庭でもなかったですし、むしろフリルのついた洋服なんかを着ると「そんなチャラチャラしたものは着るんじゃない」と言われたくらいです。

わきまえないと出世できない

――成長して自身が働くようになってからはどうでしたか。

近藤 私の最初の仕事は警察官だったのですが、完全に男社会ですね。“わきまえないと出世できない”というのはすごく感じていました。その後、税理士の資格を取ったのですが、体力的に男女関係ないし、自分が男性に対してもプライドを持って働けるかなと考えてのことでした。

 

 議員の世界も同じ男社会ですね。当時自民党の都議で女性は私ひとりでしたから、非常に贅沢なくらいチャンスを与えていただいたことは感謝をしています。でも、男性の先生方の“常識の範囲内”で動いているうちはいいけれど、そこから逸脱すると許されないという感覚はずっと持っていました。

――まさに“わきまえなければ”という状況だったんですね。

近藤 森喜朗さんは、私の選挙にも一度応援に来ていただいたことがあります。その時、私をうまく立てようという思いからか「本来僕は、近藤さんには選挙なんか出ないで嫁にでも行ってもらいたいんですよね」と言って会場がわいたわけです。彼はウケを狙ったんでしょう。残念ながら、これが差別に繋がるとか、そういう発想自体がないんですよね。