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永遠のロシアンルーレット、望むのは生か死か

 90年12月、神戸市内のマンションの一室で波谷組系岩田組の岩田好晴組長の死体が、波谷組関係者に発見された。岩田組長は頭部から血を流しており、そばには拳銃が落ちていたことから当初は自殺と見られたのだが、関係者らの証言から亡くなる前に「ロシアンルーレット」で何度も度胸試しをしていたことが判明。誤って死亡した可能性も浮上した。

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 この時期、「最後の博徒」こと波谷守之組長が率いる波谷組と五代目山口組との間では「山波抗争」が起きていたのだが、その発生要因を作ったのが岩田組長だった。同年6月、自身の兄弟分が波谷組に入ることが決まっていたにもかかわらず、直前になって山口組の弘道会(司忍会長、現・六代目山口組組長)系組織に舎弟として入門してしまった。メンツを潰された格好の岩田組長は、兄弟分を射殺したのだ。

 直後から激しい抗争が勃発。翌日には波谷組幹部と間違われ一般人が射殺されるなど、その後も銃撃事件が相次いだのである。逃亡した岩田組長は神戸のマンションに潜伏していた。日増しに抗争が凶悪化、拡大化するにつれ、抗争の原因であることを悔やみ自分を追いつめていった。そして、弾が出ないことではなく、弾が出ることを願って、ロシアンルーレットを繰り返したのではとの噂もある。この事件の影響もあってか、直後に抗争終結。しかし、自殺か事故かの真相は永遠にわからないままとなった。

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 94年11月、波谷組長もこめかみを拳銃で撃ち抜いて自決した。岩田組長との関連は定かではないが、自決の知らせを聞いた多くの業界人は、波谷組長も山波抗争の責任を感じていたのだろうと察して、その死を惜しんだのである。

 とある抗争で亡くなった組員の葬儀で出棺の際、2人のヤクザがつぶやいた。

「親分の身代わりで死ぬなんて、男で逝けたんだから最高だ」「そうだな、こんな羨ましい死にざまはない」――。2人に冗談を言い合っている雰囲気はなく、できることなら自分もそうありたいと願う羨望のまなざしで霊柩車を見送っていた。華々しく散ること、それがヤクザにとり理想の最期なのだろう。しかし、目をそむけたくなるほど虚しくて残酷な結末のほうが圧倒的多数を占める。

 ヤクザは死から遠ざかることはできない。さらにいえば、死にざまを選ぶこともできないのだ。

【前編を読む】“動物の死骸を投げ入れ”“ダンプで店舗に突っ込む” 「ヤクザ」が資金稼ぎのために行ってきた“汚れ仕事”の実態

日本のヤクザ 100の生き様

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