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二つの正義の衝突

 そして、そうやって問題を表に出すことで事態が動いていく、よくなるのではないか、といった「あらたな正義」を推し進める力が生まれつつある空気を私は感じます。

 そうした時代背景を感じつつ、しっかりと市井の人々や大小さまざまな組織内にまで浸透する「正義や価値観」が、旧来の権力を中心とした正義との衝突の局面を迎えている。

 この二つの正義の衝突が存在することこそが、民主主義の民主主義たるゆえんだと私は思います。一部の偉い人主導の、権力によって守り固めた「体制側の正義」への信頼感が大きく損なわれた今、民意を軸にして時代を切り拓く「あらたな正義」を時代は求めている。その現れだと思うのです。

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 日本もスポーツ界も正しく変わっていく、その端境期にきているのではないでしょうか。

「国民のために働く内閣」への疑い

 もう一つ見えてきたこと、それは、中間管理職的リーダーの限界です。

 安倍政権時代に強く見られた権力主義、ことなかれ主義が、その最終盤に綻びを見せ、菅政権になると明らかに崩れてしまったように私は感じます。

 その背景には、国民からの期待を背負って滑り出した新政権が、その出だしでさまざまな失策を犯し、そのリーダーシップに大きな疑問符がついたことが影響しています。国民はもはや、リーダーとしての姿勢に共感できなくなっているように私は思います。

 政権発足当初、「国民のために働く内閣」を掲げ、理念よりも実務で評価を受けよう、と意気込んでいたように記憶しています。昨年9月の世論調査での支持率は6割を超えていました。国民の過半が、菅新首相に期待していたのです。

菅義偉首相 ©文藝春秋

 ところが、その国民にとっての最大関心事であるコロナ対策で、最初から躓き続けてしまった。少なくともそのように、一国民である私には映りました。自身の会食の件でもミソがつきましたが、GoToトラベルの停止時期をはじめ、さまざまな施策はすべて後手後手。結果、新しい時代を切り拓くリーダーとしてのイメージを形づくれないまま今に至っています。

 おそらく、GoTo案件をはじめとして、リーダーであるはずの首相の政策決定には、与党の派閥の領袖の意向が色濃く反映されているのでしょう。その積み重ねの中で、「やることすべて、本当に国民のため?」という印象を国民の多くが抱いてしまうことになりました。