国もスポーツも大切なのは「民意」
国をみてもスポーツをみても、やはり本質的に大切なのは「民意」です。
もちろん、民意に媚び、民意ばかり汲み取りすぎても時代を切り拓くことはできません。が、自分が率いる組織、自分が関わるスポーツの未来よりも、自分の周りにいる任命者のほう、あるいは親会社の方を見て物事を決めてしまうと、変わるべき組織が変わらないまま、時代に取り残されていってしまいます。
一部の体制側の人はそれでいいでしょう。
しかし、「体制側の正義」に固執し、忖度しつづける「中間管理職的リーダー」では、コロナ後の困難な時代には、その他大勢の人々を不幸にしてしまうのではないでしょうか。
「中間管理職的リーダー」は、端的にいえばリーダーではありません。次世代を担う若者や子どもが目指し憧れるようなリーダーでは、まったくもってありません。
そして、そのようなリーダーでは乗り切れない現実を前にして、今こそ日本のリーダーのあり方が変わるべき時期が到来していると私は考えています。
先述したとおり、日本のスポーツ組織が様々な場面で溜め込んできた膿が出続けていて、それでも一向に大きくは変わらないこと。
沈黙を貫いて権力にもたれかかるより、言うべきことは恐れず言う空気が醸成され始めていること。
そのほうが民意と世論の支持も得やすい風潮になりつつあること。
つまり、各組織に携わる人たちが、これまでは飲み込んでいた言葉を外に出し、ハッキリと声を上げていくことで、組織が生まれ変われる可能性、流れが生まれてきているのです。
いまは、それぞれの組織が、日本が、旧来のあり方から脱せるか、脱せないかの分岐点だと思います。
そんな大きな時代変革の流れがある中で、東京オリンピック・パラリンピックはどうなっていくのか……。どうすれば、コロナ後の日本の元気復活に寄与する元気玉になっていくのか……。
先述したとおり、声をひそめ、ただ「開催」というゴールだけをひっそりと目指しているかのようにみえるオリンピックは、残念ながら「変われない」例の一つになっていくような気がしてなりません。
開催して終わり、で一過性のカンフル剤にならないことを祈ってやみません。