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 藤山(愛一郎)日航会長、柳田(誠二郎)社長、松尾(静磨)専務、森村(勇)常務は、押し掛けた家族、報道陣に取り囲まれ、狭い木造の建物は、その焦りをたかめるようにただガタピシいうばかり。というのも、占領下にあっては、米空軍基地からの情報を直接キャッチすることができず、自主的なニュース源は日航本社にしかなかったわけだ。こうしたまだるっこい取材方法のために、数えきれないほどの怪しげなニュースが乱れ飛んだ。その最大のものは9日午後2時すぎの「全員救助」の報である。発表する松尾専務、森村常務の表情にもホッと一瞬安堵の色が漂った。愛知県と静岡県の県境・舞阪沖に「もく星号」が尾部を海面に突き出しているところを見つけたというのである。夕刊はギリギリの時間を過ぎているにもかかわらず、各社報道陣はワッと電話に飛びついた。特派員を現地に走らせる、周辺支局には情報が流れる―と大変な騒ぎになった。

記者団に状況を説明する藤山愛一郎・日本航空会長(左側の背広の人物)=「画報現代史 戦後の世界と日本第12集」より

「なぜ生還の記事を出さないのか!?」

 藤山愛一郎は藤山コンツェルンの総帥で、その後外相を務め、一時は首相を目指すなど、政界でも活躍した。

 そのうち、共同通信社会部には全国各地の共同加盟紙から問い合わせが殺到しだした。

「『共同は何をしてるんだ。なぜ早く全員生還の記事を出さないんだ』といった、殺気を帯びた罵声が受話器を伝わってくる。『デスクには全員助かったのニュースは入ってこないんです』」「そのうちに奇妙な情報が乱れ飛び始めたのだ。『救助された乗客は、浜名湖の弁天島ホテルに収容された』。静岡支局に問い合わせると、その事実なし」「午後3時から4時ごろになって、ようやく全員救助のニュースが、ハッキリした根拠のないものらしいことが、おぼろげながら判明してきた。しかし、東京の新聞社では、静岡支局発で、静岡の国警本部が『全員米軍に救助された』と語った、というニュースを夕刊に印刷しているらしい」(「虚報『乗客全員救助さる』」)

 最後は、救助に向かったとされる米海軍掃海艇が浦賀に入港するのに賭けるしかなくなった。「そして、あっさり幕切れが来た。『米海軍掃海艇は、もく星号に関しては何も知らないと言っている』。浦賀からの特急電話の記者の声は、がっかりした響きを隠さなかった。全員救助は、いまや虚報であったことがハッキリしたのだ」。

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 ここから分かるのは、朝日と読売は、夕刊の締め切りに追われて、はっきりした確認がとれないまま「全員救助」を紙面に載せたらしいことだ。

人々の「願い」が生んだ推理

 同書はさらに振り返っている。「どうしてこんな間違いが起こったのか。それは大体次のようなことらしい。米空軍の捜索機の報告による『尾翼らしいもの』と『付近を航行中の2隻の掃海艇』とが、僥倖を願う人々の心の中で一つの推理を生んだ」。

 そうやって「全員救助」がラジオの電波に乗り、ラジオを聞いた人々はそれを信じた。今度はそれが現場の声となって東京に反響し、それがまた電波で打ち返された。「この悪循環が、無線時代には思ったより早く回転するため、はじめのニュースソースである人物は、そのニュースの出所が自分自身であることに気づかず、他のニュースソースが確認したものと考えてしまう。これが大変な間違いを生んでしまったのだ」。