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 また毎日は「飛行不能の天候 無視された気象観測」という中央気象台発表を伝えている。

 今度の場合、羽田飛行場にある東京管区気象台羽田航空気象観測所の観測が航空不能と出ているのに、なぜか同観測所への問い合わせがないままに離陸した。気象台の天気図によると、8日から既に悪天候を告げ、9日午前6時には潮岬南南東約100キロの地点から半径300キロ以内は強風警報が発令。正午に至ってはさらに暴風警報となった。

 日本国内のように山岳が多い所で、航空気象を無視してラジオビーコンのみに頼るのは大きな冒険である。

事故当日の天気図(「航空情報」1952年第7集より)

 紙面には「低空飛行中に 海面へ接触か」(毎日)、「電気系統の故障? 空中分解も考えられる」(読売)といった原因の観測記事も見られる。前日夕刊の「虚報」についても、「根拠のない“全員救助” 日航の希望的観測から」(毎日見出し)など、各紙とも、日航などの発表が誤報だったと説明したが、分かりづらく弁解がましい。

 ただ、情報源の一つに米空軍小松基地もあったことが新たに判明。「全員救助」の多くが米軍からの断片的な未確認情報だったことが分かった。

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各紙「絶望」の中で現れた「漫談の材料が増えたよ」

 そうした中で「虚報」が生まれる。「漂流中を全員救助 米海、空軍直ちに出動 乗客に平和博出演の大辻司郎ら」の見出しで報じたのは長崎の地元紙、長崎民友新聞(現長崎新聞)。問題は別項の次の記事だ。

 漫談材料がふえたよ かえつ(っ)て張り切る大辻司郎氏

 九死に一生、救出された大辻司郎氏は生還の喜びを次のように語った。

 長崎の復興平和博に招かれて行く途中でした。この事故で出演が遅れ、長崎の人にすまないと思っています。しかし、二度と得られない経験です。僕の漫談材料がまた増えたわけで、災いがかえって福となるとはまさにこのことでしょう。長崎平和博では早速この体験談をやって大いに笑わせてやるつもりです。これから長崎に急行します。

“虚報”となった大辻司郎の「生還談話」(長崎民友新聞)

 談話を載せたいきさつは後で判明するが、分からないのは、これが、各紙が「絶望」を報じているのと同じ4月10日の朝刊であること。共同が配信した「全員救助」ニュースを受けたにせよ、なぜこの段階まで生存説を保持し続けたのか。

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