「政局」や「政局報道」は軽視されがち、馬鹿にされがちである。たしかに政策論争そっちのけで政局(オヤジ政治)に励み、それをテンション高めに報道(オヤジジャーナル)する構図には辟易としてしまう方もいるだろう。
しかしそこに政局があるならやっぱり見るべきなのだと私は思う。永田町の非日常シーンでどういう振る舞いをするかで、その政治家の本性が見えるからだ。唐突な「大義」だってまさにそう。
「小池新党は駆け込み寺」という本音
小池百合子氏が希望の党代表になることがわかった翌日。民進党を離党し、新党に合流する衆院議員の言葉が載っていた。
《安倍対小池の戦いとなり、民進は埋没する。『駆け込み寺』になんとか駆け込めた》(朝日新聞 9月26日)
ああ、「駆け込み寺」とマスコミが喩えで使っていたら、自分たちも本当に「駆け込み寺」と言ってたんだ。
当時の民進党執行部のコメントは読売新聞(9月28日)。「中堅・若手は民進党を批判し、解党だ、離党だと騒ぐが、自分もダメな民進党の一員だったことをどう考えているのか」
小泉純一郎氏の講演(9月27日)での言葉も紹介されていた。
《権力闘争というのは、想定外が起こるんだ。政界、今日の敵はあすの友。ある時が来ると、政策なんてどっちでも良くなっちゃう》(読売新聞 9月28日)
「政策なんてどっちでも良くなっちゃう」ってひどいが、この言葉は今回の与野党の振舞いにピッタリ。