ベイスターズ、中華街…根岸線区間へ
横浜駅からは件の通り“根岸線”区間に入る。桜木町や関内などはまだまだ馴染み深い。桜木町駅は実は初代の横浜駅がルーツで、関内駅はご存知ハマスタ、ベイスターズ。ついで石川町駅は横浜中華街の玄関口だ。
沿線に暮らしていない人にとってみれば、京浜東北線、そして根岸線の中で乗り降りした経験があるのはたいていこの石川町までだろう。そこから先は、乗車した機会すらほとんどないのではないか。かくいう筆者も、記憶をたどっても20年は乗っていないような気がする。横浜は横浜でも、“根岸線”のまだ見ぬ車窓とはどのようなものなのか。
「磯子へ入りカーブを曲るにおどろくべき光の景観あらはる」
……そう思いながら電車に乗っていたら、石川町駅を出てまもなくトンネルに入ってしまった。時折トンネルから顔を出すが、すぐにまた闇の中。その繰り返しで、途中に山手という駅を挟んで走ってゆく。そしてようやくトンネルが終わったところで車窓に見えてくるのは首都高の高架とその先のタンク群。実際はほとんど高速道路がジャマをしてタンクはよく見えないのだが、とにかく巨大なタンク群の横を電車は走る。
この区間の車窓について、あの三島由紀夫も書いている。『「豊饒の海」創作ノート2』の中で、「磯子へ入りカーブを曲るにおどろくべき光の景観あらはる。埋立地の日本石油根岸製油所にて、大球タンク煌々たる灯に飾られ、中央の高塔、摩天楼の如く灯に輪郭づけられ、夥しき光成」と、その近未来のような光景を語っているのだ。
三島由紀夫が列車に乗ってこの光景を見たのは1964年のこと。根岸線はちょうどこの年に開通したばかりであった。1964年5月19日、桜木町~磯子間が開通。これが事実上の根岸線のことはじめ。そしてその当時、磯子駅は正真正銘の終着駅であった。タンク群からの石油輸送は今でも根岸線で続けられている。