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東京駅から快速で50分…京浜東北線“ナゾの終着駅”「磯子」には何がある?

2021/04/12
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戦後一変した磯子の町

 そして戦後、磯子の町は一変する。昭和30年代から大規模な埋立工事が進められ、海水浴場だった海岸線は巨大な工業地帯に生まれ変わった。根岸線が開通し、磯子駅が開業したのもちょうどこの頃であり、一昔前には海だった埋立地の上に線路を通して駅ができたのであった。

 つまり、磯子駅の目の前の広大なバスのりばも、東側の高速道路も日清オイリオもすべて100年前は海。そんな場所に駅ができれば町ができ、工業地帯とは反対側の西口には巨大なマンションがいくつも建ち並ぶ住宅街になっている。

 
 

 駅前広場を取り囲んでいるのもマンションだし(北側にはURの磯子三丁目団地もある)、駅から少し西に進んでもマンションばかり。かつて磯子にとって唯一無二の大動脈だった国道16号はそんなマンションの間、駅からみると少し奥まった場所に追いやられてしまっていた(といっても、天下の国道、交通量はなかなかのものだ)。国道16号のすぐ先には丘陵の際の崖がそびえ、その上にもいくつものマンションが建っている。これは大正から昭和にかけて開かれた高級住宅地の名残なのだろう。

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磯子と100年

 巨大なマンションや高速道路、工業地帯と比べると磯子駅はいささか小さすぎるような印象を抱く。丘陵上の高台に暮らしている人は、わざわざ崖下まで降りて電車に乗るのではなくて、直接バスやマイカーで横浜の中心方面に行ってしまうのだろうか。小さい駅でもそれほど混雑はしていない。それでも、マンションたくさん磯子区役所もある駅前だけあって、親子連れから老夫婦まであらゆる人たちが行き交っている。

 

 かつては海水浴の名所でもあった磯子の海は工業地帯と生まれ変わって丘陵側は住宅地。ちなみに磯子区役所の目の前には美空ひばり生誕記念碑が建つ。昭和の歌姫は磯子区の生まれだからだ。美空ひばりが幼少期に見た磯子の海はまだ工場のない海だった。三島由紀夫が見た海は埋め立てが進んで工業地帯になったばかりの光景だ。ナゾの終着駅・磯子もそんなエピソードとともに訪れてみれば、いくらかは旅情を感じることができるかもしれない。

写真=鼠入昌史

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