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1927年に誕生した磯子区。もともとは…

 私はバスに乗ってもとくに行くべきところがないので、歩道橋をひとしきり歩いて広大な駅前広場を眺めたあとは駅の周りを散策することにした。駅前のバスのりばを兼ねた広場につながっている通りは磯子産業道路というらしく、おおむね線路に沿って走っている。この通りを少し北に向かって歩いていくと、横浜市の磯子区役所がある。磯子という駅名そのままに、この一帯は磯子区の中心市街地なのだ。

 

 横浜市には18の区があって、磯子区はそのひとつ。歴史は意外と古く、1927年に磯子区として誕生している。歴史をもう少していねいに見ていくと、この磯子の町は古くはしがない小さな漁村に過ぎなかった。そもそも江戸時代末期の開港までは横浜自体が小さな漁村だったのだから、その中の磯子が漁村だったのはあたりまえといえばあたりまえともいえる。海に面しては小さな砂浜があったが、そのすぐギリギリまで多摩丘陵の高台が迫っているような、つまりは人の暮らす土地の少ない一帯だった。

開発が本格化した大正以降

 

 ただ、なんの名所もなかったかというとそうではなく、梅が植えられて江戸時代から観梅の名所としてよく知られていたらしい。海風そよぐ丘陵と江戸湾の眺め。さぞかしすばらしい景色だったことだろう。本格的に開発の手が入ったのは大正から昭和にかけて。丘陵上の高台が高級住宅地として切り開かれて、崖下は海水浴場になっていたという。

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 それでも海沿いギリギリには横浜と軍都・横須賀を結ぶ現在の国道16号が通っていて、その点では重要な役割を果たしていた。国道上には昭和初期までに横浜市電も伸びてくる。横浜の中心市街地とは丘陵地で隔てられていたいわば陸の孤島だった磯子に、近代的な交通機関がようやくやってきたのである。