文春オンライン

「繁忙期には店の外からも注文が…」 蒲田の雑踏を見つめた老舗そば屋“最後の日々”

蒲田の昭和の味がまたひとつ消えていく

2021/04/13
note

 昭和の時代、戦後の復興から高度経済成長の頃は、蒲田駅周辺はいつも喧騒といってもいいほどの活気に溢れていた。若い頃、自分にとって蒲田は、何故か怖い町という印象だった。また同時に、映画「蒲田行進曲」の影響もあってか、映画撮影の街・人情の街と勝手に想像していた。

 それが餃子の街として人気になったバブル景気後半の頃から様子が変わったように思う。若者が大挙して「你好(ニーハオ)」や「金春」の餃子を食べに蒲田にやってきた。自分も餃子をずいぶん食べに行った。そして、蒲田周辺はマンション開発などが一気に進み、明るい空が戻ってきた。景気は長い下降局面に入り、街は落ち着いていった。

 平成時代に入っても蒲田の餃子の人気は続き、さらに立ち飲みのブームも重なって、呑み助の街という印象が強くなった。西口サンロードや京急蒲田商店街あすと辺りの立ち飲み屋を、居酒屋の達人と、何度かはしごした記憶が残っている。

ADVERTISEMENT

JR蒲田駅前から消えゆく立ち食いそば屋

 JR蒲田駅にあった立ち食いうどん屋「めん亭」が閉店したのが2007年。閉店時はラジオなどでも話題になった。2010年9月には西口の「南蛮カレー」が静かに閉店した。そして、2012年に京急蒲田駅は全面高架となり、見違えるほどきれいになった。現在、蒲田の街はコロナ禍があるものの、いつもと変わらない営みを続けている。

蒲田西口駅前からの現在の様子

 そんな蒲田の街を昭和の時代から見守ってきた立ち食いそば屋「みよし庵」が2021年4月30日をもって閉店するという知らせが入ってきた。そこで4月初旬に訪問してみることにした。

「みよし庵」はいつもの通りひっそりと営業していた

「みよし庵」はJR蒲田駅西口のドン・キホーテの前でいつものようにひっそりと営業していた。暖簾が春風に揺れていた。店先にも閉店のお知らせが貼りだされていた。女将さんはいつも通りの笑顔で迎えてくれた。

暖簾が春風に揺れていた
店先にも閉店の挨拶が

 縦長で左右に長いカウンターがある店内は、外の喧騒がうそのように静かで緩やかな時間がいつものように流れていた。

左右に長いカウンターの静かな店内

 閉店の話を切り出してみると、「そうなんです。まあ、今は一人でやってるから大変で…」という。一緒に経営している弟さんの体調が芳しくなく、現在は女将さんだけで店を切り盛りしているそうだ。