溝口 共謀罪と違って暴排条例のときはさすがに勉強していた。あのときは企業側もどう対応すべきか、ものすごく勉強をしていました。ヤクザから出前の注文があったとき、「寿司1人前なら配達できるけど、5人前だと会合に使われるからできない」という話だから。宅配便でお中元やお歳暮を送ろうとしても、差出人が「何々組」で一度にたくさん発送しようとすると、宅配会社がストップをかける。デパートなども注文を受けない。
鈴木 どこまでがセーフで、どこからアウトなのか線引きが難しいですが、とにかくあらゆる場面で暴力団が排除されているということだけはよくわかります。
暴力団はいいけど反社はダメ
溝口 面白いのが、暴対法にある「暴力団」という呼び名はいいけど、「反社」とは呼ばれたくないというヤクザが多いこと。
五代目山口組組長の渡辺芳則は「暴力団という名付けはけっこうである。なぜなら我々は暴力を基本としているから」と言っていました。その一方で、社会の役に立ちたいという気持ちはあるから、「反社」という名は受け入れがたいものであると。
鈴木 「暴力団」という呼称を認めるというのは、革命的な一言ですね。当時の暴力団は「暴力団と呼ばれるのは心外である」という古い親分ばかりでしたから。
溝口 任侠山口組組長の織田絆誠は、最終目標は「脱反社」だとして、治安維持で世の中に貢献したいと言っていました。不良外国人を追放し、半グレに特殊詐欺をやめさせる。裏社会のアンテナを活用したテロ対策や、海外に在留する邦人の警護などをやるんだと真顔で言う。考えるのは自由だけど、本当にやり出したら日本の警察は黙っていないでしょうと。
鈴木 それはそうでしょうね。
溝口 だから、古びた美学というか、世の中の人たちのお役に立って、「自分たちの有用性に着目してもらいたい」という気持ちと、「我々は反社会的勢力ではない。だから、『反社』とは呼ばれたくない」という美意識がある。
「暴力団」という言葉は、遡ると大正時代からあって、それなりに歴史はある。今でも警察が「こいつは暴力団」と言えば暴力団です。行政が決める。愚連隊または青少年不良団、テキ屋、博徒の3つを総称して暴力団と呼んでいて、法的に規定されたのは、暴対法が最初ですけどね。