2016年7月26日、刃物による凶行として戦後最悪の犠牲者を出した「津久井やまゆり園事件」。犯行に及んだ当時26歳の植松聖は「障害者なんていなくなってしまえ」という常軌を逸した供述を行った。そんな彼は逮捕直後、そして外部との接触が制限される交流生活で何を考えていたのだろう。

 ここでは、神奈川新聞取材班による緻密な取材をまとめた書籍『やまゆり園事件』(幻冬舎)を引用。植松聖死刑囚が記者に宛てた手記・イラストを紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)

※本文中には、殺害の様子など凄惨な場面描写があるほか、植松聖死刑囚による障害者に対する差別的な発言がありますが、事実に即して掲載します。この事件の詳細を正確に伝えるとともに、差別の実態を明らかにするためです。また、登場する方々の敬称は原則、省略します。年齢、肩書きは一部を除き、2020年7月時点のものです。

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青い表紙の大学ノート

 殺人罪などで起訴され、接見禁止の措置が解けた直後の2017年3月以降、植松聖は神奈川新聞記者との接見や手紙のやりとりに応じてきた。裁判に向けて横浜地裁が実施することを決定した2度目の精神鑑定を受けるため、立川拘置所(東京都立川市)に勾留されていた18年3月。植松は事件を起こした背景を知ってほしいと、事件直後の行動や心情、拘置所での暮らしぶりなどをつづった「手記」を記者に寄せた。

植松から記者に届いた手紙 写真=神奈川新聞社提供

 青い表紙の大学ノート。B5判に横書きで計22枚、1万2541字。黒色のボールペンを使い、終始、丁寧な言葉使いで小さな文字がびっしりと並んでいた。映像を見ているかのように、情景や心理描写が具体的に描かれている(一部抜粋、原文まま)。

犯行直後、自ら出頭した警察署

 津久井署に向かう途中、コンビニへ寄りタバコとエクレア、コーラを買いました。コンビニから津久井署は車で5分程ですが、その間にタバコを3本吸い、コーラをがぶ飲みして、エクレアは半分しか食べきれず署に着いてしまいました。

「今、やまゆり園で起きた事件の犯人は私です。世界平和の為にやりました」

 このような言葉で自首したと思います。全力で走り続けた私は、椅子に座ると安堵(あんど)からか身体中の筋肉が引き吊りました。

その空間は現場に着いたお巡りの声が無線から流れています。

「えーーーー負傷者は、えーーーー今は、えーー」

 まるで分からない報告は、現場の混乱がよく伝わりました。

 鍔のない包丁で刺したので、右手の小指は肉がえぐれ飛び出しており、それまではどうしたこともなかったのですが、少しずつ痛みが増してきました。

「絆創膏(ばんそうこう)を貰(もら)えますか?」

無愛想なおじさんは、その言葉をシカトします。この時に、自分が犯罪者として扱われている自覚を持ちました。