【前編「“宝塚の「た」の字も知らなかった”大地真央さんが男役を選んだ理由」から続く】

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阿川 宝塚にいらっしゃる間にアイドル活動をされたというのは……?

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大地 レコードデビューもしたんです(笑)。宝塚の小林駅の前のスーパーで、ミカン箱の上に立って歌ったりしたこともありましたね。それは学校を卒業して劇団入団2年目の時に、オーディションを受けて合格して1年後、1年半の間外部出演してました。

阿川 それはどういう経緯でそんなことになっちゃったんですか?

大地 宝塚は今は「クリエイティブアーツ」という部署があるんですが、当時は歌劇団しかなくて、もっと外に出ていくために、「宝塚企画」というのができたんです。そこで、私の6期上の方がレコードデビューされて、もう少し若い子たちもデビューさせようという話になったそうで。

阿川 え~、本業は? 舞台ですでに忙しかったんじゃないんですか?

大地 いや、下級生の頃は暇だったんですよ。それでオーディションを受けて、1年くらい東京と宝塚を行き来してレッスンをして、19歳の時デビューしました。『悲しみのアイドル』という歌で(笑)。

阿川 売れました?

大地 売れないですよ~。でもNHKの『夢であいましょう』のプロデューサーの方が企画した番組のレギュラーにしてくださって、オープニングで踊ったり、土曜は大阪の『ヤングタウン』というラジオ番組で桂三枝さん(当時)のアシスタントをしたり、タレント活動をやっていました。

「宝塚ぁ?」みたいな世間がまだ宝塚を認知する前

阿川 外回りばっかり? 出稼ぎか?(笑)

大地 テストケースのテストみたいなもので、宝塚の方も全然売り出し方が分からなかったみたいで。マネージャーさんは宝塚ファミリーランドに勤務されていた人や、オーケストラの元ドラマーさん、阪急の切符切りの人、ミキサー室にいらっしゃった人……。

阿川 アハハハハ、その人選はなんなんだ(笑)。

 

大地 私、何やっているんだろう? って思ったこともありました。同期生が新人公演で初めて、『ベルサイユのばら』のアンドレとかオスカルとか主役を勝ち取っていた時期で。

阿川 でも、私はその話を聞いて、そうやって外の世界を見るいい経験になったのかな、と思ったんです。

大地 そうなんです。辛かったけど、本当にいい経験だったなあ、って。世間がまだ宝塚を認知する前だったので、「宝塚ぁ?」みたいな、まだ市民権を得ていない状態で。

阿川 コアなファンはいっぱいいらっしゃったでしょうけど、特に関東とかだとね。

大地 宝塚を全然知らずに入って、好きになったはいいものの、客観視すると世間にはそういう風に見ている人もいるのが分かった。井の中の蛙だとかいろいろ言われて、宝塚にもっと新しい風を吹き込みたい、と思ったんです。トップでも何でもない下級生なのに宝塚を背負っている気分で、馬鹿にした奴らに思い知らせてやる、みたいな(笑)。

阿川 おー、宝塚愛に燃えてきた!!