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「はよ、判決言えや。死刑だろうが!」血まみれの現場に囓りかけのリンゴを残した死刑囚が明かした家族との葛藤

「前橋高齢者連続殺傷事件」土屋和也死刑囚と母の告白 #1

2021/04/18

genre : ニュース, 社会

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母親が語り始めた「和也の半生」

 だが手記は未完成のまま、起こした事件や半生を俯瞰で見て整理しきれないまま裁判は進み、死刑が確定。彼の半生の全貌を知りたいと考え、ツテを辿り母親・聖子(仮名、53)と接触して内容の補強をお願いすると、「それが和也の望みなら」とあっさり承諾し、概ね半生は完成した。批判されることも承知の上だという。

 彼が知って欲しかったことは何か。惨憺たる家庭環境である。

 和也は1988年、栃木県の山間部で生まれた。母親・聖子は21歳。年子の姉のほか、父親の連れ子もいたという。

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 しかし、父親の浮気と暴力で、約2年で両親は離婚。聖子は着の身着のまま姉と和也を連れて水商売の寮に逃げ込んだ。

 聖子の祖母は、粗暴な父親について、後に和也にこう話したという。

「実の父はろくに家に金を入れず、定職にもつかずにパチンコ三昧で、母から金をせびっていた。その上、実父が前の嫁に産ませた男児の世話も母にさせていた。

 成人式で着るはずだった晴れ着も、実父が遊ぶ金欲しさに無断で質屋に売り、『お前の服、1万ほどにしかならなかったぞ』と吐き捨て、結局、レンタル品で成人式に行ったらしい」

 若くして母子家庭になるなどいまどき珍しいことではないが、聖子は女手だけの子育てに限界を感じていた。それでも前述の通り、和也の手記には家族3人で遊園地に遊びに行くなど楽しい思い出ばかりが綴られている。彼は、当時の困窮した母の状況には気づいていなかったようだ。

家族旅行で姉(右)と(1992年、母提供)

 だが、ほどなく聖子は再婚して平穏な生活を手にする。前夫と真逆の、優しく面倒見がいい男。家族で夕食を共にし、お風呂に入って川の字になって寝た。絵に描いたような理想の家族像である。

「決心して和也を施設に預けました」

 家族に亀裂が生じたのは、新たな生活を手に入れた2年後のことである。

「訪問販売でミシンや布団を1000万円分ぐらい買っちゃったんです、旦那さんに黙って。で、それがバレて愛想を尽かされちゃって」(聖子)

 2度目の離婚。再び水商売をする母親について回る生活になったが、1回目の離婚で片親の限界を感じていた彼女のこと、その生活も長くは続かない。和也4歳のときである。

「決心して和也を施設に預けました」(同)

 夫の収入に頼らなくてもなんとかなるのでは。子供の笑顔を励みに頑張れるのでは。なぜ聖子は和也を施設に預けたのか。

「ひとりで生活するのと、3人で生活するのは違うし。毎回炊事するわけじゃないから。コンビニで済ますみたいな感じだったので、やっぱりね、私には無理だったんですよ、きっと」(同)

 息子を手放した母。多額の借金を抱えた聖子自身が生きるための選択だろう。