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 施設に入った和也。そこで待っていたのは壮絶なイジメだったという。しかし和也は、その記憶を呼び戻したくないのか、イジメの内容について面会でも手記でも一度も語らなかったのである。

中学の卒業文集

 和也は高校に入学すると同時に施設を出て、福島県内の聖子の実家に身を寄せた。

 高校では卓球部に所属した。勉強はでき、教室ではよく漫画や新聞を読んで過ごしていた。大人しく、友達はいなかったようだが、イジメられることはなかったという。事件を知った中学の同級生も「もの静かな子だったのに」と驚いた。

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中学の卒業アルバムより

和也の元を再び離れた母

 和也は高校を卒業すると、福島で塗装業の仕事に就いた。が、本人曰く「人付き合いが苦手」で仕事にも慣れず、わずか7ヶ月でクビに。塗装は未経験で覚えが悪く、先輩から嫌われ、会話もなかったという。職場でも孤立してしまったのだ。

 そのとき頼ったのは、当時群馬県内に暮らしていた聖子だった。だが、1週間だけ母親のもとに身を寄せるも、母親と暮らす同棲相手と折り合いがつかず、すぐに逃げ出してしまう。和也からすれば、聖子は自分ではなく同棲相手を取ったということになった。

 和也は生活保護を受けた後、ようやく群馬県内のラーメン屋でのアルバイトにありつけ生活が安定する。給料は15万円と僅か。職場とアパートは母親が暮らす家の近くだ。また糊口を凌ぐが、母親とも交流を重ね、充実した生活を送っていた時期だった。

 が、ほどなくして親の介護を理由に、聖子は和也の元を去り福島の実家で暮らすようになるのである。ここでも和也は顧みられることもなく、聖子の行動は変わらなかった。

和也が一時期暮らした母親の実家がある町(筆者撮影)

 度重なる離婚や施設に預けられたことで摩耗しきっていた親子の絆の糸が、このとき、和也のなかで完全に切れたのかもしれない。

〈自分の場合、母からの連絡が途絶え、こちらからの連絡が出来ない状態でした。金がなくガス、水道、と止まり、料金未納でスマホも通話不能になりました。日々食うものに困る状態になっていました。

 

 生活保護を受けることも考えましたが、その受給時代の係からの言葉のない無音の重圧。それらに耐える意思も気持ちも崩れ去り、希望のない絶望のうちにいるのだ俺は…と実感しました〉(和也の手記より)

 殺人犯は、怨恨や金銭目的で殺めるタイプと、不遇な自分を世に問うため無差別テロを起こすタイプに、大まかに分かれる。

 和也は、そのどちらでもないのかもしれない。飢えを凌ぐために現金約7000円とりんご2個を盗むも「自分の半生を知ってもらいたい」と最後の望みを語ったからだ。あるいは2つを内包しているのだろうか。(文中敬称略)

後編につづく》

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