大阪を中心に活躍し、名脇役となった浪花千栄子の生涯を描いたNHK朝ドラ『おちょやん』の物語が佳境を迎えている。同じ劇団員の後輩と不倫をする夫一平の行動に千代がひどく心を痛めたシーンは多くの視聴者の心を打った。
ここでは『おちょやん』の放送開始を機に復刊された自伝的エッセイ『水のように』(朝日新聞出版)を引用。主人公のモデルとなった浪花千栄子氏が書き残した当時の胸の内を紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
※浪花千栄子は竹井(天海)千代のモデルとなった人物、渋谷天外は天海一平のモデルとなった人物です。
※本記事は劇中の内容に触れる可能性がございます。ご注意ください。
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無てっぽうな女優遍歴のはじまり
私は、小笹所長などの慰留をふり切って、東亜キネマを退社いたしました。若気の至りとは申せ、たいへん無てっぽうでございました。
それから、私の女優としての遍歴が、はじまります。
自分でも知らなかったそんな力が、私のどこにひそんでいたのでしょうか。幼年期に抑圧されつづけて成長してきたその底辺に、いつの間にか何かが根をおろして、いつの間にか芽ばえて育っていたのかもしれません。
東亜キネマを退社すると、すぐ帝国キネマから独立してプロダクションを創立した市川百々之助(いちかわもものすけ)さん(百々ちゃんと呼ばれて、主として、勤労者の若い娘さんがたに、当時、圧倒的な人気を博していた剣劇スター)の相手役として迎えられましたが、一本も自主的な制作を行なわぬうちに、その百々之助さんは帝国キネマ(帝キネと略号のほうが一般にとおっていました)へ復帰されたので、私も行をともにし、そこで、何本かの映画に出演しました。
浪花千栄子(なにわちえこ)の誕生は、この市川百々之助プロダクションへ迎えられると同時に、改名いたしましたものです。香住千栄子とはさっぱりと、東亜キネマとともにさよならし、身も心も新しい出発、といった気負った気持ちも多少あったように思います。それだけに、住居も大阪へ移して帝キネでいよいよ仕事にかかるという段になると、私のファイトは異常なものでございました。