妻である私と、女優である私
しかし、女優としても、また人間としても、私が成長いたしました時期は、なんと申しましても、それから後、ほど経て、松竹家庭劇へ配属され、はからずも昭和5年、前記渋谷天外さんと結婚いたしまして、今次の戦争をはさんで、昭和25年破婚いたしますまでの20年間かと思われるのでございます。
結婚と申しますものは、あくまで個人的なもので、つまり私生活でございます。女優とはこれは世に認められていればいるほど、職業としての責任を持たねばならない、いわば、公的生活でございます。
私が、結婚に破れました第一の原因は、この、公私を全く混同したところにあると思われます。座長天外の妻であるという私が、ある場合には女優である私とたたかい、それは血闘とも申すべき痛烈なものの連続でございましたが、そのたたかいに、どちらかの私が勝ったといたしましても、一方は必ず、当分立ち上がれないくらいに深傷(ふかで)を負っています。
私は、座長の妻であるというほこりを捨て、一座の立女形([たておやま]古くからの、劇界の言いならわしで、一座の座長格の女形から転じて女優の場合でも、そう申します)である責任も放棄して、いっしょうけんめい、この20年間、一座のために奔命いたしました。
当然、私がやらねばならぬ役でも、他の人に譲らねばならぬことが、往々にありました。
天才にして尋常ならざる夫・渋谷天外
それは、天外さんは一座の脚本家でもあったからで「亭主の脚本で、いちばんいい役をとる」と言われては、「統制上支障を来たす」ということが大義名分になっていたからです。ですから、思いもよらぬ若い役が来たり、やったこともない老婆の役が来たり、その芸域の広いこと、つまり、他の人のいやがる役、けられた役の一手引き受けというわけです。
渋谷天外という、喜劇役者としても、喜劇脚本の作家としてもすぐれた腕を持った天才的な人の、夫としての面は、ここでは私は申し上げる必要を認めません。ただ、よきにつけ、悪しきにつけ、並尋常の物さしでは計れない人であったとだけは申しあげておきますが、それゆえに、天才的なのだ、とも、人はおっしゃるかもしれません。
一方には、名人ともうたわれる曽我廼家十吾さんが、兄貴株で控えておられます。寸分の油断も許されない演技の受け渡しは、一歩はずしたら、まっさかさまに下へ落ちてしまう綱渡りのようで、お相手をしていると、油汗がにじみ出て体重がへるくらいの心の使いようです。この十吾さんと御いっしょの舞台は、人が一月かかる勉強を一日でマスターするほどの、重量感と緊迫感の連続でございました。