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 私が知りたかったのは、おねえさんのライフストーリーや、なぜこの仕事に就いたのかということ、仕事上の思いや意見だった。何度か顔を合わせ、挨拶をするようになっていた1人のおねえさんに、たまたま客が2人だけだった「おかめ」の店内で、「取材させてほしい」と名刺を出して頼んでみたこともあったが、

「いらんわ」

 だった。いわんわと言われても、「そこをなんとか」と食い下がるのが取材の常道だ。だが、私はそのころまだ「この人たちのご機嫌を損じたら怖いのではないか」と、どこか腫れ物にさわるような偏見を持っていたのだと思う。 

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飛田新地のすぐ近くには人々の生活の場が広がっている ©️永田収

2、3歳の女の子を連れた“飛田のおねえさん”

 ある時、私に「(料亭の)経営者?」と訊いてきた1人のおねえさんがいた。

「いや、違うんやけど」

 その時は、それだけのやり取りだったが、数日後の昼間、商店街の喫茶店で偶然に会った。2、3歳のピンクのトレーナーを着た女の子をつれていた。すっぴん。爪にはピカピカしたネイルアート。

「めっちゃかわいい」

 と私が子どものことを言ったのをきっかけにちょっとなごんだ。

「あの店、よく行く?」

「飛田、もう長い?」

 訊ねてみた。

「あの店は、こないだが2回目。飛田は長いような短いような……。なんでそんなこと訊くの?」

 という彼女に、名刺を出して事情を説明し、

「急いでなかったら、ちょっと話を聞かせてくれません?」と言うと、「今日は休みやから、別に急がへんけど」。突如、チャンスがやってきた。ドキドキしてきた。

 この喫茶店の常連なんだろう。子どもは喫茶店の他のお客と遊んでいる。今だ。

©️永田収

「お母さんは面倒くさい親」17歳で大阪のソープへ

「生まれ、どこって聞いていい?」

「宮崎」

「宮崎市内?」

「ん? ま」

「ご両親とかきょうだいとかは?」

「父親は早くに死んだから、顔知らんの。きょうだいは2つ上のお兄ちゃんがいる。そのお兄ちゃんが最悪。じいちゃんばあちゃんの家に住んでたんやけど」

「お母さんはどこにいてはったの?」

「パチンコ屋の寮。(小学校)5年生から、うちらもそこで」

「そうなんや、お母さん、パチンコ屋に勤めてはったんや」

「たぶん。お母さんは面倒くさい親。なんか嫌なおっさんがおって、泊まりに来てたんよ。ほんまにもう」

 宮崎にはいい思い出が一つもないと彼女は言った。

©️永田収

「でも、好きな男の子の1人や2人いた?」と振ってみたら、

「いいひんわ。中2の時に、お兄ちゃんにサレた」と言った。「ありえへんと思うやろ? そんなこと」とひんやりとした笑みを見せた彼女に、返す言葉を探しているうちに、彼女は妙に快活に喋り出した。

「うちは17歳で大阪に出て来たん。先に出て来てる友だちがおったから。ミナミのソープ。なんか、そういうことになって」

 重労働だった。客に「もっと簡単に稼げる」とつれて来られたのが飛田だったと。

「ゲッと思ったけど、どこで働いても同じやとも思った。『美容師になりたい』って夢みたいなことをマスターに言うたら、『貯金しぃ』って、まじに言うからびっくりした」