飛田新地 知る人ぞ知る大阪市西成区の歓楽街「飛田新地」も、2020年からコロナ禍の打撃を受け続けている。

 2020年4月から5月までは加盟店約160店が休業。2019年のG20大阪サミットの時期にも営業を自粛したが、長期休業は異例だ。2021年4月25日からも大阪に緊急事態宣言が発令され、酒類を提供する飲食店は休業を余儀なくされている。

「料亭」を名乗って営業をしている飛田新地に軒を連ねる店にも多大な影響が出ていることだろう。色街・飛田新地は秘密のベールに包まれた街ゆえにその窮状が大きく報じられることはないが、そこには懸命に生きる人々が確かに存在している。

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 ノンフィクションライターの井上理津子氏は12年に渡ってこの街を取材し、2011年に上梓した名著「さいごの色街 飛田」(筑摩書房、現在は新潮文庫に収録)で彼らの姿を活写している。その一部を抜粋し、転載する(転載にあたり一部編集しています。年齢・肩書等は取材当時のまま)(#5#6#8へ)

飛田新地 ©️永田収

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局部を包丁でちょん切る事件を起こした“阿部定”も

 飛田には、あの阿部定(1905年~没年不明)もいた。1936年(昭和11年)、性交中に愛人の男性を絞殺し、局部を包丁でちょん切るという事件を起こした女性である。

 東京・神田の畳屋の末娘として生まれた阿部定は、15歳の時に友人の家で大学生に犯されたショックからか、遊び暮らすようになる。幾人もの男性と関係を結ぶ様子を見兼ねた父親に「そんな男好きなら娼妓に売ってしまおう」と横浜につれていかれた。その時はまだ18歳だったために芸妓となったが、男女の関係ができた芸妓屋の主人に食い物にされ、娼妓となったのだ。

 関東大震災で家を失った芸妓屋の主人とその一家を、阿部定が養うはめになるも、主人に別の女性と関係ができるなど、翻弄されたのだ。この主人と縁を切るために、阿部定は長野県飯田へ移る。飯田では不見転芸者(みずてんげいしゃ・相手を選ばず、金次第で客の言いなりになる芸者のこと)とならざるを得ず、「いっそ娼妓になったほうがまし」と、1927年(昭和2)、22歳で流れてきたのが飛田だった。

飛田新地 ©️永田収

 この時の前借金が、2800円ぐらいだったという。べらぼうに高額なのは、件の主人とのごたごたがまだ続いていて、縁を切るために金をくれてやる必要と、飯田の芸妓屋に借金を返す必要があったからだ。色白で鼻筋がとおっていたという彼女の美貌も考慮されたと思われる。