知る人ぞ知る大阪市西成区の歓楽街「飛田新地」も2020年コロナ禍に見舞われた。
飛田新地料理組合では4月から6月まで加盟店約160店を休業。2019年のG20大阪サミットの時期にも営業を自粛したが、長期休業は異例だ。現在ではコロナ対策をとりながら営業を再開しているが、コロナ以前の状況とは変わってしまったことも多いだろう。
色街・飛田新地は秘密のベールに包まれた街ゆえにその窮状が大きく報じられることはないが、そこには懸命に生きる人々が確かに存在している。
ノンフィクションライターの井上理津子氏は12年に渡ってこの街を取材し、2011年に上梓した名著「さいごの色街 飛田」(筑摩書房、現在は新潮文庫に収録)で彼らの姿を活写している。その一部を抜粋し、転載する(転載にあたり一部編集しています。年齢・肩書等は取材当時のまま)。(全4回の1回目)
◆◆◆
「ちょっとだけ上がって行ってえや。ハタチやで」
男たちが歩いている。覗き込んでいる。曳き手のおばさんと何やらしゃべっている……。
はじめのうち、正視できなかった光景が、通ううちに目を背けずに見ることができるようになってきた。
「おにいさん、遊んでって」
に、聞こえないふりをする男。ちらっと見てかぶりを振り、通り過ぎる男もいる。しかし、圧倒的多数は足をとめる。1軒、2軒と通り過ぎた男も、何軒か先で必ず足をとめる。
「いや、また」
と、上がり框にちょこんと座ったおねえさんに目をやる。何が、いやまたなのだ、と思いながら、耳を澄ます。
「ちょっとだけ上がって行ってえや。ハタチやで」
ほんとかな。25でも30でもハタチと言うんじゃないの? と私は心の中で1人つっこむ。
「ほんまやで、正真正銘のハタチやで」と、曳き手のおばさんが重ねて言い、「なぁ」と相づちを求めると、胸の谷間が丸見えのピンクのドレスを着たおねえさんが上目遣いに微笑んで大きくうなずく。と、あやうく乳房まで見えそうになり、女の私ですらぞくっとする。ヌードより過激だ。
「なんぼ」
男が訊くと、曳き手おばさんは男においでおいでをする。男が開け放たれた戸口の中に入る。おばさんは男とひそひそと話し、そして玄関先の壁を指差す。壁に、印刷された料金表があるのだ。おねえさんはずっと微笑み続けている。