11人が死亡した火災事件
中1殺害事件はJR川崎駅の北東1.5キロほどの場所で起こったが、2015年には、南西1キロほどの場所でもやはり、世間を騒がせる事件が起きている。同駅は年間利用者数が全国10位(14年)の巨大ターミナルだ。東口を出ると繁華街が広がっているが、そこから南に向かうといつの間にかテーマパークに迷い込んだような気分になる。イタリアの街並を模してつくられたというショッピング・ストリート〈ラ チッタデッラ〉。その中にはシネマ・コンプレックス〈チネチッタ〉があり、通りの終わりにはキャパシティ一1300人規模の大型ライヴホールで、1988年の開店以来、日本のラップ・ミュージックをはじめとするかつてはマイナーだったジャンルを支えてきた〈クラブチッタ〉がある。
ただし、家族連れや若者で賑わう〈ラ チッタデッラ〉の裏手は、ソープランド街として知られる南町で、川崎をテリトリーとする暴力団・山川一家と、その傘下の内堀組も本部を構えている。そして、大通りを挟んだ隣町が日進町だ。一見、なんの変哲もない住宅街だが、少し歩いてみればちょっとした違和感を覚えるだろう。例えば、児童公園では日中にもかかわらず酒を飲んでいる男性が目につく。そして、住宅街を抜けて高架をくぐると、ふるびた旅館が建ち並ぶエリアに出る。それらは、3000円ほどで四畳半の部屋に1泊することができる簡易宿泊所である。このあたりは日雇い労働者のための居住地区、いわゆるドヤ街なのだ。
2015年5月17日午前2時頃、川崎区日進町で、マンションの住人から「近所で火災が発生している」という通報があった。出火元は1961年開業の簡易宿泊所〈吉田屋〉。やがて、隣接する62年開業の簡易宿泊所〈よしの〉へと燃え移り、11人が死亡、17人が負傷する大惨事となる。ようやく鎮火したのは夜7時だった。出火原因は放火の可能性が高いと見られているが、依然、犯人は捕まっていない。
陰惨な事件があっという間に忘却されてしまう空間
火災から約半年。現在、〈吉田屋〉と〈よしの〉がどうなっているのかを知るために、やはり、インターネットで得た情報を元にグーグルマップが指し示すあたりを歩いてみるが、見つからない。しかし、引き返すときに気づいた。それは、すっかり消失していたのだ。マンションと駐車場に挟まれた小さな空間が跡地だった。仕方なく、駐車場のブロック塀に残った黒い焼け跡を眺める。そのとき、背後の公園からひどく酩酊した中学生ぐらいの男子が千鳥足で出てきて、隣にある公団住宅の駐車場に倒れ込んだ。そこではもう2人、同世代の男子が寝転び、焦点の合わない目で宙を見つめ、その周りをいずれかの弟とおぼしき幼い男児がケラケラ笑いながら走り回っている。壁を隔てた公園では、若い夫婦がジャングルジムで子どもを遊ばせている。老人がストロングゼロを片手に動物の遊具に乗って、ゆらゆらと揺れている。それらを、ほんの10メートルほど先に建つ川崎警察署の巨大な建物が見下ろしている。なんという密度だろう。こんな空間の中では、陰惨な事件があっという間に忘却されてしまうのも仕方がないことなのかもしれない。