先日、師範を務めている両国将棋センターで指導対局をした。

 子どもの頃、この場所でいたずらばかりしていた私は、いつも「師範」という2文字をくすぐったく思ってしまう。私にとってのこの場所は、思い出が深すぎるのだ。

指導対局中の筆者。感染予防用のアクリル板がある(写真提供:両国将棋センター)

「よし、オッちゃんが教えてやろう!」

 私は将棋道場で育ったと言っても過言ではない「道場っ子」だった。

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 初めて行った道場は将棋会館道場。母に連れられて行き、10級の認定証をもらった。小学1年か2年生の頃である。私を最初に強くしてくれたのは、名前も知らないオジサンだった。

「お嬢ちゃん、将棋指せるの? よし、オッちゃんが教えてやろう!」

 言葉だけ書くと、実にあやしいセリフである。まぁ実際は「オッちゃん」とは言っておらず、「私」だったのだが。

 それでも、いま私が親として同じ状況に置かれたら、娘に将棋を教えてもらうかは、少し迷うかもしれない。平成で言えばひと桁のこの頃は、今より色々なことが緩かった。世の中は、悪く言えば適当だったし、良く言えば自由だったのだろう。

 オジサンは将棋の基礎を教えてくれた。

「攻めは飛角銀桂」とか「前に指した手を活かす」とか、将棋を指す上で、局面をどう考えていくかのセオリーが多かった。

 話がうまく、面白い人で、将棋が大好きな人だったのだと、今は思う。5級になる位までだっただろうか。記憶が定かではないが、そのオジサンは私が道場へ行く度、対局の合間に付き合ってくれた。

 その教えもあってか子どもの頃の成長は早く、道場に通い始めて1年程で初段になった。

どの道場でもみんな温かく迎えてくれた

 将棋を通した友達もたくさんできた。ほぼ10割男の子だったけど、当時の私もほぼ男の子だったので何の問題もない。将棋を指して、遊んで、バカなことをやるのが楽しかった。

 少し蛇足になるが、学校とは関係のない友達がいるというのは、子どもにとって、とても良い環境作りになると思う。学生の頃は学校内の生活がすべてになりがちだが、大きく見たら人生や人間関係はそれがすべてではない。色んな自分の姿を持ち、自分や人を知っておくと、何か大きな壁にぶつかった時の助けにもなるはずだ。

 将棋キッズの親は、今も昔も道場事情に詳しくなる。

「ここの道場にも行ってみる?」

 と、聞いた道場のほとんどに足を運んだ。

 今も経営している所では三軒茶屋将棋倶楽部、両国将棋センター、御徒町将棋センター。残念ながら閉店してしまった、名門・八王子将棋クラブや、ザ・将棋という新宿にあった道場にもよく行った。

 この頃の私は、それはもう手が付けられないやんちゃ坊主だったが、どの道場でもみんな温かく迎えてくれた。前提として女の子で将棋が強い子はまだ少ない時期ではあったけれど、それよりもみんな将棋が好きで、将棋を楽しみに来ている雰囲気があったのだろう。