しかし、少なくともこの場面では心の内と外の区別はかなり曖昧になっています。読者としては、少々慎重に読まざるをえない。不便です。にもかかわらずこうした叙述になっているのは、内と外の区別を曖昧にすることで表現されるものがあるからです。まず一つ目として、この曖昧さを通して作品の基調にある硬質の読み心地が形作られる。そこには、読者に手取り足取り状況を説明する親切な語り手はいません。まるで「ほらよ」とぞんざいに料理の皿を出してくるような、ちょっと不機嫌で、寡黙な料理人のようです。はじめは読者も面食らうかもしれませんが、慣れてくると、まさにそれがこの作品の味わいだとわかる。
シンプルで、ドライで、荒削り。それだけにインパクトも強い。細やかな情緒より、荒っぽい動きや、生死の境を垣間見せるような緊張感。『老人と海』を読む体験から得られるのはこのような感覚でしょう。
文章の「乱れ」の効果
しかし、もう一つ注目したいことがあります。これは必ずしも『老人と海』に限ったことではありませんが、物語が佳境に至ったことを示すのに、登場人物の知覚や思考に異変が生じている様子を描くということはよくあるのです。実際、この場面でも老人が尋常ならざる心理状態にあることは示されています。
Now you are getting confused in the head, he thought. You must you’re your head clear. Keep your head clear and know how to suffer like a man. Or a fish, he thought.
"Clear up, head," he said in a voice he could hardly hear." Clear up."
おやおや、頭がおかしくなってきた、と彼は思った。しっかりしなくちゃいかん。しっかりして男らしく受難だ。それとも魚らしくか、と彼は思った。「おい、頭、しっかりしろ」彼はかすかな声でつぶやいた。「しっかりするんだ」
あれれ、オレ、変だな、と自分でもわかっているようです。だからこそ"Clear up"と「声」を物理的に発し、内面にとめどなく広がる錯乱気味の「心の声」を抑えつけようとしているようにも見えます。