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 しかし、そうした老人の自覚はよけいに危機感を際立たせます。物語がさらに緊張感を高めるにつれ、文章には絶妙な形で「乱れ」が組み込まれていきます。

 He took all his pain and(1) what was left of his strength and(2) his long gone pride and(3) he put it against the fish's agony and(4) the fish came over onto his side and(5) swam gently on his side, his bill almost touching the planking of the skiff, and(6) started to pass the boat, long, with purple and(8) interminable in the water.

 彼は自分の痛みも、わずかに残った力も、なけなしの誇りも、ぜんぶ一緒くたにして魚の苦難にぶつけた。魚はわきにやってきて、静かにそのまま泳いでいる。魚の鼻づらはほとんど小舟の板張りに触れんばかり。舟のわきを、長く、深く、広く、銀色の上に紫の線を引いた胴体が、果てしなく水を行く。

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微妙にレベルの違うand

 下線で示したようにandが次々に出てくるのですが、微妙にレベルの違うandが混在しているため、ここも読者がやや混乱しがちです。and(1)とand(2)はtookの目的語を併置、and(3)は「彼」の一連の行為を併置、and(4)は「彼」から「魚」への焦点の移行を示し、両者の行為を対照、and(5)は「魚」の二つの行為を併置、and(6)は「魚」の行為を一つ追加、and(7)は色の描写を併置、and(8)は「魚」についてのlong, deep...というひと連なりの修飾語をまとめる(A, B and Cのように)という形で、何となく読んでいると、どれとどれが併置されているのかやや混乱してきます。今にもわからなくなりそうです。

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 しかし、このような、「今にもわからなくなりそう」だという感覚こそがここでは重要なのです。さきほどの「声」の所在の不明瞭さと同じで、境界が「今にもわからなくなりそう」なことを文章のレベルで表現することで、事態の切迫が示されるからです。