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「同じandでも微妙に違う…」 東大英文学教授が教える英文中の「今にもわからなくなりそう」な感覚が重要なワケ

『英文学教授が教えたがる名作の英語』より#後編

2021/05/02

source : ノンフィクション出版

genre : エンタメ, 読書, 国際, 教育

note

「内面の声」を区別する

 たとえばここでは発せられている声と、実際には発せられていない声との区別がかなり不分明になりつつあります。You are killing me, fish, the old man thought. というところは、これが「内面の声」だということが明示されています。そのあとにつづく部分も、このthe old man thought の続きと考えられるでしょう。

 Never have I seen a greater, or more beautiful, or a calmer or more noble thing than you, brother. Come on and kill me. I do not care who kills who.

 こんなデカくて、きれいで、静かで品のある魚は見たことがないぞ、兄弟。よし。やれるもんならやってみろ。俺をやれ。誰が誰をやっつけようと同じだ。

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 しかし、このように老人の心の声が引用符もないままつらなっていくと、まるで、それが直接話法で語られた声のようにも感じられてきます。

 なぜこのような誤解を招くような書き方がされているのでしょう。作家はこのあたりの「心の声」をよりはっきりと「ここは心の声にすぎないのですよ。実際には老人は口に出していないのですよ」と示すこともできたはずです。たとえば合間に老人の動作や事物の描写を増やせば外界がくっきりと際立ち、内と外という対立が明瞭になる。あるいは「声」の方に、ちょっと抽象的で思考のプロセスを示唆するような言葉を入れることで、ふつうの発話とは異なる、いかにも「心の声」らしい内面性が表現される。そういうやり方でも、内と外の対立はわかりやすくなるでしょう。よりストレートにはit seemed to himとかIt o ccurred to himといった、視点や境地など「心のジェスチャー」を示す言葉を増やせば、区別ははっきりする。