内田也哉子さんと中野信子さんの共著『なんで家族を続けるの?』(文春新書)の刊行を記念して、4月11日に行われたオンライントークイベント。ZoomウェビナーとYouTubeライブ中継(現在、YouTubeにてアーカイブ動画を公開中)を合わせて1800名超の視聴者を集めたトークの全貌を公開します。(全6回中の2回目。#1#3#4#5#6を読む)

(文:小峰敦子、撮影:山元茂樹/文藝春秋)

 

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距離のとり方については、母子ともに悩むところ

Q.【20代より】母との距離のとり方は?

内田 20代の方からですね。

中野 人間関係というのは、「知らない相手との距離が近づいていく」というのが、関係を築いていく普通のあり方ですね。だけど、母子関係だけは違うんですよ。

内田 母子? 父子ではなく母子が違うんですか。

中野 そうなんです。母子は、最初は同じ物体なんですよ。体液なども共有しているんだけど、それがデタッチされて、出産というかたちで身が2つになる。そして子どもがどんどん成長するにしたがって、過ごした時間は長くなるのに距離は遠くなる。これはもう切ないですよね。

内田 切ないですね。

中野 愛情深いお母さんほど切ないですね。それをうまく処理できずに、感情的なしこりになってしまう人がたくさんいますよね。私自身も例外ではないと思います。距離のとり方については、母子ともに悩むところであり、そして、これは正解がないんです。

内田 人それぞれなんですね。

中野 一意に決まってないということが、人間の種としての強みではあるんです。環境に合わせられるという、アジャストできる遊びの部分があるんです。けれども当人たちは解が定まらないのは、すごくつらいですよね。そこで、では自分たちはどうしようかと考えていくところに、やはり知性が必要になってくるのだと思います。一つご提案としては、家族の卒業式というのをやったらどうでしょうか。

 

内田 ああ、面白いアイディアですね。それは子どもが何歳のときにやるのが適切なのかしら。

中野 私だったら、基本的にはそれは脳が大人になる歳がいいだろうと考えるので、社会状況もあるけれど、現代なら30歳かな。

内田 あ、そんなに猶予があるの?

中野 かつては、脳が大人になるのは25歳といわれていたけど、今は30歳ぐらいまで育つといわれています。30歳になった子どもに「ママ」って呼ばれるの、ちょっとイヤでしょみたいな感じがあると思うんですよね。時代や国によって多少違うと思うけど、「30歳になったらもう親の家にいる年齢ではないでしょ」と思います。ただ、卒業しても別に縁が切れるわけではなくて、アルムナイ(同窓生)としていつでも帰ってきていい。でもずっと家にいたら、学生でいえば“留年”だから、私が親だったら、「ちょっと後ろめたく思えよ」と言います。

いつかは必ず否応なしに離れる時が来る

内田 面白い。卒業式というセレモニー的なものと思えば、親子が離れること、別れることが辛いというイメージがもしあるとしたら、それが少し緩和される気がしますね。

中野 新しい旅立ちの日ということで。

内田 私は実質的には母子家庭で、すごく個性の強い母と一人娘という関係でいたから、傍から見ると関係が濃く見えたようで、「濃い」「濃い」ってずっと言われていたんですね。母は私をあまり子ども扱いせずに、自分の行く道をズンズン行って、私は後ろを必死に追いかけていたので、ベタベタした関係ではないにしても、母が子に与える影響力が強過ぎるのではないかということで、私が思春期の頃から、「もう少し母と距離をおいたら?」と、いろいろな方に言われたんです。

中野 そうだったんですか。

内田 世の中を見ても、濃い母子関係を見ると、周りの人は離したがるじゃないですか。でも、私は一昨年に母がパッとこの世から消えてしまったから、母子はいつかは必ず否応なしに離れる時が来ると思うと、無理に離れることを目標にする必要もないと思うんです。逆に、親子だから近くにいて、いつも密にいろいろな話をしなければと思うわけでもない。本当にそれぞれで違いますよね。