「同和の帝王」と呼ばれ、乱暴狼藉を尽くした尾崎清光は1984年1月に殺された。
尾崎を知るコンサルタントの男は、初めて会った時のことを今も覚えているという。
白いスーツで、高級時計を両手と両足に4つ
尾崎が死ぬ数年前、コンサルタントは、永田町の東京ヒルトンホテル(現在はザ・キャピトルホテル東急)に向かった。ホテルの真正面に尾崎の白いキャデラックリムジンが停められ、ロビーに入ると目つきの悪い男たちがたむろしていた。
地下に降りて床屋へ入ると、メガネを外してリクライニングチェアに寝そべる尾崎の爪を、女たちが囲んで手入れをしていた。コンサルタントに気づくと、「よう来れたな、あん? どういうつもりや? ウチのタレントに」といきなり恫喝してきた。
出会ったきっかけは、コンサルタントの知人が、若い女に取引の未払いを催促していたこと。女が、所属するモデル事務所のオーナーとなった尾崎に泣きつくと、尾崎がその知人の家に何回も電話をかけ、「こら、市長に言ってお前の戸籍を抹消してやるぞ」と脅すため、困り果てていた。知人に相談されたコンサルタントが尾崎に連絡し、尾崎が拠点としていた東京ヒルトンに呼ばれたのだ。
コンサルタントは暴力団幹部に相談し、何かあれば連絡することになっていた。吠えまくる尾崎をなだめ、幹部に電話をかけて尾崎に代わると、その態度は一変した。「……はい、はい、分かりました」と言って電話を切り、コンサルタントに向かって、笑顔で「なんぼやったっけ?」と言い、かたわらの財布を取り上げた。札束を入れるためにマチ(幅)が広くしてある特製の革財布は、ダイヤモンドで家紋がデザインされていた。女の未払い額は10万円程度だったが、50万円渡してきたという。
「尾崎は、貫禄のある65歳ぐらいのジジイに見えましたが、まだ40代半ばと知って驚きました。数百万円の鼈甲のメガネをいくつも持ち、白いスーツが好きで、高級時計を両手と両足に4つ付けているのです」(コンサルタント)
17回逮捕、15回のムショ生活
尾崎は高知県のとある町で生まれた。日雇い夫だった父親は酒とギャンブルに狂い、母親を殴りつけた。中学生になると非行に走り、少年院へ。貧乏だったため中卒で大阪に出て、ドヤ街の人夫手配師となり、地元の暴力団に入った。その後、「恐喝、詐欺、婦女暴行、銃刀法違反など17回逮捕され、15回のムショ生活を送った」(『政界往来』1984年7月号「実録小説・尾崎清光」)。