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病室で100万円を数えていた最中の襲撃

 それは83年秋のこと。東京都の役人は、執行猶予期間中の身だった尾崎への融資を強いたのである。その数ヶ月後に尾崎が死亡したため、融資した15億円は全額が不良債権化した(衆議員予算委員会95年3月9日議事録より)。

 1984年の年が明けると、尾崎は糖尿病治療のために東京女子医大病院5階の特別室に入院した。

©時事通信社

 2週間過ぎた1月30日午後9時50分頃、尾崎は病室で側近が運んできた現金500万円のうち、数え終えた400万円を鞄に入れて残り100万円を数えていた。その時、3人の男が病室に入って来た。3人ともカーキ色の作業着を着てハンチング帽を目深にかぶり、白いマスクをつけていた。

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 男たちは尾崎と側近を壁に向かって立たせ、サイレンサー付きの拳銃で尾崎を3発撃ち、尾崎が倒れると、1人がその背中にドスを刺した。床に散乱した1万円札は血に染まったが、男たちは金に目もくれず出て行った。時間にしてせいぜい20秒のことであり、明らかにプロの犯行だった(『噂の真相』1984年4月号「プロの殺し屋に射殺された“利権屋同和”尾崎清光の成金人生」)。

15年後、事件は迷宮入り

 警視庁は捜査本部を設置し、暴力団を担当する捜査4課の刑事たちを投入した。尾崎は様々な暴力団と付き合い、多額の借金を背負い、トラブルも起こしていたため、「暴力団が殺し屋を雇った」と見立てていた。

 尾崎の後ろ盾となっていた暴力団の内紛、尾崎に金を貸して厳しく取り立てていた反社の地上げ屋など様々な名前が挙がった。尾崎とトラブルを起こしていた暴力団組長は、その後5年にわたり警視庁に監視されたという。

 当の暴力団の間では暴力団による犯行説には懐疑的だった。警視庁に監視された前述の暴力団組長は、「暴力団に尾崎を殺す意味はない。それに暴力団が雇った殺し屋はあそこまで完全な殺しはできない」と話していたという。

 尾崎を恨んでいたのは恫喝され続けた省庁や行政の役人たちだったため、「国が殺した」と荒唐無稽な説を話す人たちまで出てきて、警察庁の非合法部隊の存在がまことしやかに語られた。

 尾崎殺しは容疑者を特定することもできず、15年後の1999年1月に時効を迎えて事件は迷宮入りしている(敬称略)。