「女めちゃん」と「オーさん」
「店に来る前には『今日は大久保さんといっしょだから、失礼のないよう女将さんに伝えておいてね。女めちゃんも呼んどいて』とメールが入る。大久保さんが、『女めちゃんの踊りが見たい』と言い出したこともありました。彼女は20歳前の半玉ですから、本来はあまり踊れません。でも、三味線を呼んで日本舞踊を舞ってもらった。すると、大久保さんは大喜びでした」(店のコンパニオン)
小沢事務所の金庫番は、03年の暮れから半年あまりで10回以上も「花仙」に通いつめたという。コンパニオン嬢は、2人の仲睦まじい姿にあてられっぱなしだったらしい。
「大久保さんは座敷にいるあいだじゅう、女めちゃんとずっと手をつないでいる。興が乗ると、カラオケでデュエットすることもありました。女めちゃんは、大久保さんを『オーさん』と言って甘え、大久保さんは彼女のことを『女め殿』とおどけて呼んでいました。それは楽しそうでした」
と、コンパニオンはこんなエピソードまで披露する。
「ある日、女めちゃんに『最近、オーさん来ないわね。どうしてるの?』と聞いたことがありました。すると、『今はイタリアです』と答える。でも、どうやら意味が違うようなんです。『それはすごいわね』と言うと、『オーさんのイタリアは岩手ですけどね』って笑っていました」
ひょっとすると、大久保は岩手の胆沢ダム工事のために奔走していたのかもしれない。時期的に見ると、そうも思える。川村たちは、この「花仙」に事務担当秘書だった石川知裕を連れてくることもあったという。石川はのちに衆議院議員になるが、店には石川の秘書時代の名刺も残っている。
政界工作の場
水谷建設社長と料亭の「東京妻」の恋愛劇は、04年夏に幕を閉じる。川村が別れ話を持ち出したというが、それは水谷功の指示でもあった。店で食事をしたことのある水谷建設の関係者が次のように打ち明ける。
「料亭の女将はやり手でした。店は古賀誠先生の元秘書やダイナマイト業者の山本潤さんも、よく使っていました。40代のゼネコン営業担当者や関係者が集まり、懇親会を開いていた場所です。東北のダム工事視察と称して、女将といっしょに旅行に行った連中もいます」
繰り返すまでもなく山本潤とは、川村が小沢事務所の大久保に裏献金する際、立ち会った目撃者だ。山本の「花仙」通いについても、当人のシステム手帳に記されていた。それを押収した地検はむろん一連の接待まで把握しているという。
「ところが、あるとき『花仙』の女将と水谷会長とが揉めたのです。実際には何の件でトラブルになったのか不明ですが、会長にとってまずい情報をつかまれ、女将が会長を脅していたような感じでした。水谷会長が店に呼び付けられ、何百万円も届けたことがあります。それ以来会長も、あそこは危ないと言い出し、川村社長に手を切るよう、指示したのです」(同前・水谷建設関係者)
あれほど頻繁に通っていた川村は、やがて店に姿を見せなくなり、彼女も秋には「花仙」をやめた。
水谷建設の社長だった川村は、向島の料亭を政界工作の場として利用してきた。全日空ホテルで、問題の水谷建設から小沢事務所に対する1億円の裏献金工作がおこなわれたのは、その直後の出来事になる。
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