「多臓器不全による衰弱死」という殺害方法を選んだ理由
由紀夫さんが死に至るように仕向けられた事情について、判決文は以下の理由を挙げている。
〈平成8年1月上旬ころには、もはや由紀夫は金を工面することができなくなっており、金づるとしての利用価値が乏しくなっていた上、由紀夫は、かねての被告人両名の支配下における継続的な暴行、虐待により重篤な状態に陥り、外見上も異常な症状が顕著に現れていたが、由紀夫を病院で治療させたり、実家に帰したりすれば、当時指名手配中であった被告人両名の所在が探知されたり、被告人両名が由紀夫に暴行、虐待を加えたことなどが発覚したりするおそれがあった。そうすると、当時、被告人両名にとって、由紀夫はもはや邪魔で疎ましい存在でしかなかったことが推認される〉
そのうえで、多臓器不全による衰弱死という殺害方法を選んだ理由について、論告書は触れている。
〈由紀夫に対する殺人方法には、決して自己の手を汚そうとしない松永の小心かつ責任回避的な態度が色濃く反映され、直接的な形で由紀夫を殺害することを極力避けるため、虐待を続けて衰弱させ、死に追い込む形が選ばれた。
すなわち、由紀夫が絞殺等の積極的な態様で殺害されなかった理由は、上記松永の性格上、仮に絞殺するならば緒方に命じざるを得ないところ、いかに衰弱しているとはいえ由紀夫は壮年男性であり、由紀夫が最後の抵抗を試みた場合、当時身重であった緒方の手には余り、殺害に失敗する危険性があることを懸念したものと推察される〉
「あんたがお頭を叩いたから、お父さんは死んだんだ」
由紀夫さんの死亡を受けて、「片野マンション」30×号室内でどのような動きがあったか判決文は明かす。
〈その後、松永と緒方は、甲女を同席させ、「片野マンション」の和室で飲酒しながら話し合いをした。その際、松永は、甲女に対し「病院に連れて行けば助かるかもしれないけど、甲女が噛み付いた痕があるから甲女が警察に捕まるので、病院には連れていけない。」、「あんたが掃除しよるときにお父さんの頭を叩いたから、お父さんは死んだんだ。」などと言い、甲女を困惑させた〉
なお松永は、この発言をした2、3日後に、由紀夫さんが死亡したのは清美さんのせいだとして、彼女に父親を殺害したのは自分である旨の「事実関係証明書」を作成させている。その目的について、論告書は次のように説明する。
〈なお、この書面(事実関係証明書)は、その後も甲女の逃亡を阻止し、由紀夫殺害の発覚を防止するために用いられた。松永は、甲女に、「子供が話しても警察は信用しない。事実関係証明書があるから、捕まるのはお前の方だ。」などと常々甲女に申し向けていた〉
当時清美さんは11歳であり、そのような松永の発言を真に受けてしまうのも無理はない。この松永による脅しは、以降も彼女が従属的な生活を強いられることに繋がる呪縛となった。
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この凶悪事件をめぐる連載(一部公開終了した記事を含む)は、発覚の2日後から20年にわたって取材を続けてきたノンフィクションライターの小野一光氏による『完全ドキュメント 北九州監禁連続殺人事件』(文藝春秋)に収められています。