起訴された案件だけで7人が死亡している「北九州監禁連続殺人事件」。

 もっとも凶悪な事件はなぜ起きたのか。新証言、新資料も含めて、発生当時から取材してきたノンフィクションライターが大きな“謎”を描く(連載第55回)。

北九州監禁連続殺人事件をめぐる人物相関図

1996年1月、目に見えて衰弱していった由紀夫さん

 福岡県北九州市の不動産会社員・広田由紀夫さん(仮名)は、松永太と緒方純子からの虐待が連日繰り返されたことにより、目に見えて衰弱していった。

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 そうした衰弱の様子について、福岡地裁小倉支部で開かれた公判での検察側の論告書(以下、論告書)では、〈平成8年(1996年)1月ころ以降の由紀夫の状況〉として、以下の説明がされている。

〈被告人両名(松永と緒方)の由紀夫に対する通電暴行や生活全般にわたる種々の制限は、その後も緩むことなく続けられ、平成8年1月になると、由紀夫は、すっかり痩せてしまった。また、由紀夫の身体には、斑点のようにかさぶたができていた。松永は、由紀夫に命じて、由紀夫の身体から床に落ちたかさぶたを食べさせたこともあった。

 

 さらに、由紀夫の身体は、左手首などにむくみが生じ、腕や足を押さえると、その部分が元に戻らなくなった。また、由紀夫が、浴室で、松永から「あんた、顔がむくんどうやんね。」と言われたことがあったから、松永も、由紀夫が目に見えてむくんでいたことはわかっていた。

 

 また、由紀夫の右手には、包帯が巻かれていた。これは、指に電線を巻き付けられて通電された結果、肉が溶けて、骨が見える状態になっていたからであった。松永の指示で、緒方が手当てをしていた〉

幼稚園勤務時代の緒方純子

 由紀夫さんは虐待を受け続けたことで、精神にも変調をきたしていたようだ。論告書はその様子についても触れている。

〈この時期、由紀夫は、いきなり、浴室の中から、洗面所にいた松永に向かって土下座をし、「甲女(娘の清美さん=仮名)がいつもお世話になっています、宮崎様(松永の使っていた偽名)。自分も甲女もここまで来れたのは宮崎様のおかげです。」などと言ったこともあった。松永は、甲女に対し「あんたもお父さんを見習わんね。」と言い、由紀夫も、「頭を下げないか。」と言って、側にいた甲女の背中を押して土下座させた。甲女は、由紀夫をひどい目に遭わせた松永に対し、突然こんなことを言い出した由紀夫を見て、由紀夫の頭がおかしくなってしまったのではないかと思った〉