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悩みながら、迷いながら……講談界初の“母娘真打” 田辺銀冶が歩んできた道

2021/05/16

師匠であり母であり

 鶴瑛は、銀冶の預かり師匠になり、一方では母として娘に接してきた。

 相撲の世界は一度部屋に入ると親子ではなく、親方と力士という関係になり、甘えが一切ない厳しい世界で生きることになるが、鶴瑛は「私は師匠らしくしていないです」という。

「娘に『師匠』と呼ばれたのって、5回ぐらいしかないんですよ。いつも『かあちゃん』ですから(笑)。ネタや芸を教えることもありません。一鶴はまず個性が第一ということでしたので、あれこれ指導することはないんです。たまに言葉の語尾を気をつけなさいとか、言葉遣いはこうした方がいいというぐらいです」

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 ただ、銀冶は、師匠でもある母との付き合い方が「少し難しい」と感じていたようだ。

「身内なので、どうしても甘えが出てしまいます。こうした方がいいよと、アドバイスをもらったり、注意をされても素直に聞けないんです。他人からですと『はい、すいません』と素直に聞けるんですけどね」

 その話を聞いていた鶴瑛は、こういった。

「私は立派じゃないからね。親の欠点をいろいろ見ているので、そんな欠点のある人からそんなことを言われてもなって感じじゃないですか(笑)」

 ふたりの掛け合いを聞いていると、微笑ましい。もちろん厳しい部分はある。銀冶が「本牧亭」について話をしている時、「講釈の場として復活させたい」というと、鶴瑛から「定席ね」と鋭い声が飛んだ。その時、銀冶は「痛いところや間違いを指摘された時、私はだんまりします。わかってますからって(苦笑)」というように、黙していた。講談は「読み物」、つまり言葉を大事にしている芸だ。真打になると間違うことはできないが、それを正す師匠の存在は、成長するためには不可欠な存在であろう。

娘は「水」で、母は「火」

 二人のやりとりを見てわかるように、母娘は性格的に真逆である。

 鶴瑛はいう。

「性格的に、娘は『水』なんです。水なのでとどまっていない。流れて、いろんなものが混じって大きくなっていく。私は『火』なんです。『人生、燃やすぞ』みたく一瞬で燃えるタイプなんですよ。ですから、娘の方が大人ですね。口から出る言葉がシビア。石橋を叩いても渡らないタイプ。でも、リーダーシップがあって、正義感が強く、人に対して優しく、友人にも恵まれています」

 正義感の強さは、子供の頃からあったという。鶴瑛が庭の掃除をしていると、「もっとここをきれいに掃きなさい」と祖母に言われた。その時、3歳の銀冶は、「かあちゃんをいじめるな」と大きな声で祖母に言い放ったという。

 母と異なる性格に育ったのは、鶴瑛独特の教育が影響したのかもしれない。

 鶴瑛は、自分がされてイヤだと思ったことは娘にしなかった。親に「勉強しなさい」と顔を合わせると言われたが、娘には一切、「勉強をしなさい」とは言わなかった。世間体を気にすることもなかった。例えば幼稚園のバッグは、女の子ならキティちゃんとかかわいいのを持たせるが、「山姥」にした。すぐに幼稚園の先生から「その絵が子供の心にどんな影響を与えるのか、わかりますか」と心配の連絡がきたという。