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ミャンマーで拘束の北角裕樹さん「刑務所で政治犯と約束した。世界に伝えることが僕のミッション」

クーデター取材中に何が起きたのか。ジャーナリスト・北角裕樹さんに聞く

2021/05/20
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経済活動のためのインターネットは許可

――当初、ミャンマーの情報を音声SNS「Clubhouse」で伝えていた現地の日本人がいたのですが、ネットの遮断は都市部だけでしょうか?

北角 インターネットの遮断はおそらく全国的なものだと思いますが、通信方法によってタイムラグがあったと思います。地方によっても差があったのかもしれませんが、わかりません。ネット接続は、光ファイバーや電話回線を会社や自宅に引いたものしか利用できませんが、光ファイバーがある家は少ないです。モバイルデータ通信もワイヤレス・ブロードバンドを介したWi-Fiも利用できなくなりました。ただ、ボイスコールができていました。

 全面的に遮断できなかったのは、経済への影響からでした。よく言われているのは銀行です。インターネットが遮断されると、決済ひとつもできません。そのことを軍ははじめ知らなかったようです。軍としては、経済をちゃんと運営していると言いたいのでしょう。ただ、モバイルは個人が多いので、「治安を乱す」という理由で禁止しました。会社は経済活動を続けることが必要なので許可しますということなのでしょう。

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ヤンゴンで取材する北角裕樹さん ©北角裕樹

ヤンゴンでも始まった治安部隊による鎮圧

――ヤンゴン市内でのデモや集会の緊迫感は?

北角 もともと平和的なデモや集会でした。音楽を歌ってみたり、シュプレヒコールをあげてみたり。当初はまだ数千人単位の集会でした。1回目に逮捕された2月26日は、民衆が高架橋下で集会をしていたのを取材していました。そうすると、道路の反対側に治安部隊が横一列になりました。20~30人だったと思います。治安部隊が盾を警棒で叩きながらゆっくりと行進してきました。

 僕がいた一角には数百人単位の人たちがいました。そのため、すぐには撤退できる状況ではありませんでした。治安部隊がゆっくり近づいてきましたので、民衆の側もゆっくり逃げていました。そのため、僕も一緒に逃げました。デモや集会を鎮圧する現場に遭遇するのは初めてでしたので、非常に緊張していたのを覚えています。

 治安部隊による鎮圧は、ヤンゴン以外の都市ではもっと早く行われていました。逮捕される前日には、ヤンゴンで治安部隊による発砲がありました。他の都市では、すでに民衆が撃たれていました。ヤンゴンでも鎮圧を始めるという方針転換があったのでしょう。僕も身の危険を感じました。