ジャーナリストが相次いで摘発
――1度目の逮捕のことを教えてください。
北角 鎮圧されるときに現場で捕まっています。護送車に乗せられ、中に入りました。次から次へとデモや集会の参加者が逮捕されていきました。非常に長い間、護送車にいて、暑かったのを覚えています。車内で、記者証やパスポートなどをチェックされました。この時点では、外国人との認識がなかった可能性がありました。
治安部隊側の言い分としては「ジャーナリストとは思わなかった」「防弾チョッキを着ているので、怪しいテロリストと思った」というものでした。そんなはずはないです。たしかに、防弾チョッキは着ていました。しかし、僕は大きなカメラを持っていましたし、ヘルメットには「PRESS」と書いていましたから。僕が狙われたわけではないですが、ちょうどこの頃、ジャーナリストが相次いで摘発されたのです。翌日にも、ジャーナリスト6人が捕まっていました。
「ジャーナリストを含めて、摘発するように」との指示があったのだろうと思います。そうしたら現場にジャーナリストがいた、だから捕まえた、という感じだと思います。
釈放されるとき、書類を書かされました。1)拘束される際、暴力を受けていない、2)持ち物は全部返却された、3)釈放にあたって金銭を要求されていない。この3点について書かれた同意書にサインをすれば釈放されるということでした。しかし、1)について、僕は、棒で殴られているし、後ろ手にされて腕が痛かったので、「それはおかしいじゃないか」と話したんです。頑として譲りませんでした。
そうしているうちに、電話が許され、自分が大使館に連絡しました。結局、治安部隊側が根負けをして、僕が言う通りに1)については、同意をすることはありませんでした。
釈放後は目立たないようにしていたが……
――釈放後はどうでした?
北角 帰宅しましたが、報道されたこともあり、目立ってしまったので、しばらくは現場に近づかないようにしました。しかし、自分から現場に近づかなくても、そのときのヤンゴンは、至る所でデモがありました。摘発にも遭遇しています。そのため、積極的に危ないところに行こうとしなくても、街中がそういう状態でした。時期によりますが、取材する場所は慎重に選びました。ある時期からは、記者だとわかるようなものは持ち歩かないようにしていましたね。マスコミも狙われるようになったので、プレスとわかるものや防弾チョッキを持っていること自体が危ない。最終的には、カメラすら持たなくなりました。撮影は小型のスマホを使っていました。
地元の人にも声をかけられました。「あなたがニュースに出ていた記者ですね」「ありがとうございます」「逮捕されることになってごめんなさい」などと言われました。挨拶しにきて、一緒に写真を撮ることもありました。そのため、こっそり取材することはできなくなり、むしろオープンにして、「記者がここにいるよ」とされても仕方がない状況でした。デモ隊に声をかけられるということは、治安部隊や軍にも見つかっていたと思います。