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ミャンマーで拘束の北角裕樹さん「刑務所で政治犯と約束した。世界に伝えることが僕のミッション」

クーデター取材中に何が起きたのか。ジャーナリスト・北角裕樹さんに聞く

2021/05/20

僕の場合は、いろんな意味で特別待遇だった

――待遇はどうでしたか?

北角 取調べは3日間で7、8回。1回1~2時間ですが、長い時で3時間。刑務所では、受刑者の中から英語や日本語ができる人に通訳させていました。日本語の通訳が非常にレベルが低く、会話が成り立ちませんでした。困っていたら、英語の通訳の人が来ました。僕は、VIP扱いでした。私がいたのは政治犯の区画でしたが、周りにいる人は、政府の高官とかメディアのオーナーとか、有名な映画俳優だったりしました。僕の場合は、外国人ということもあり、いろんな意味で特別待遇でした。

 まず僕は拷問を受けていないのです。政治犯の多くは、刑務所に来る前に、軍の施設で拷問や厳しい尋問を受けています。例えば、「ナイフか銃を選べ」と言われて、銃を選んだら、頭に銃を突きつけられて尋問を受けた人がいました。多いパターンは、目隠しされて、後ろ手に手錠をかけられて、コンクリートの床にひざまずく姿勢になり、否定的な回答をすると棒で殴られるというものです。また、取り調べ時間が長い。2日間ぶっ通し。調べる側は入れ替わります。印象としては、殺す意図があるかどうかはわからないですが、死んでも仕方がないという意識だったのではないでしょうか。

アウンサンスーチー氏の写真を掲げるデモ隊。三本指は、「抵抗のサイン」を意味するという ©北角裕樹

――拘留中の食事はどうでしたか?

北角 拘留されると、口に入るものが美味しいです。ミャンマー料理って辛いし、油がギトギトなんですけど、刑務所の食事は、それをおさえて作っていました。ミャンマー人は「まずい」と文句を言っていましたが、日本人の僕にとってはちょうどよかったです。とうがんのスープやかぼちゃのカレーが出ましたが、とうがんやかぼちゃは刑務所内で作っているので取れたてです。インスタントコーヒーはあまったるいのですが、それ自体が貴重な中で飲むと美味しかったです。そのため、食事は楽しみでした。

 大使も接見に来てくれました。接見といっても、刑務所内から電話で話をするのですが、「あなたの救出には全力を尽くしている」と言われました。弁当の差し入れもありました。サイコロステーキや焼肉でした。普通の差し入れと別に「温かいものだから」と、早めに届きました。

刑務所で会った政治犯と交わした約束

――今後はどうしますか?

北角 当局は刑事処分を全部取り消しました。そのため、「なかったもの」とされています。気持ちとしてはミャンマーにもう一度、行きたいですが、しばらくは無理だと思います。再入国ができるかわかりませんが、治安部隊は「刑事手続きが取り下げられているので、ブラックリストには載っていない」と言っていますが、でも、わからないじゃないですか。再入国できないことを恐れて、クーデターを批判しないことはないです。事実を伝えることが最優先です。それで入るのはなかなか難しいとは思います。

 刑務所にいるときに政治犯に会いましたが、「自分たちは出所しても、クーデターの体制では言いたいことが言えない。でも、君は、日本に追放されるので、言いたいことは言える。だから、ミャンマーで起きていることを世界に伝えてくれないか?」というのが願いでした。僕はそのことを約束した。「それが僕のミッションだ」と。解放が決まった日、バタバタしていましたが、抱き合って、「約束を守るから」と言って、出てきました。託された思いを伝えるしかないです。

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