「ぴあフィルムフェスティバル2007年」でグランプリを獲得し世に出た石井裕也監督は、当時、〈青春を台無しにした甲斐があった。これからも台無しにしていきたい〉と製作への野心を露にした。
しかし世界がコロナ禍に直面した2020年、映画で発する言葉を見つけることができず、「しばらく映画はいいや」と思うほど、監督の心は深淵に沈んだ。
最新作『茜色に焼かれる』は、その闇底から、改めて映画を撮りたいという強い衝動に駆られ生まれた作品だ。
「コロナの前から生き辛さというのはあったと思います。僕の生活でも家族が病気を患ったり祖母を施設に預けたり――当たり前ですが、誰もがしんどさを抱えながら、それでも必死になって生きている。でも、そういう個人の痛みや感情がコロナ禍になって置き去りにされたような気がします。蔑(ないがし)ろにされている。その現実をリアルに描こうと思いました」
だからであろう。主人公の田中良子(尾野真千子)が置かれた境遇は、いたたまれないほど理不尽だ。
夫(オダギリジョー)を交通事故で失った良子は、生花売り場のパートと夜の仕事を掛け持ちしながら中学生の息子を養っている。住まうのは小さな間取りの市営団地。生活費や人付き合い、義父が入居する老人施設費と、毎日を生きる、ただそれだけで金は消え、人に傷つき、何かを奪われながらも堪(こら)え生きる。
「生活を考えると、なにをするにもお金のことが頭をチラついてしまう。僕自身、学生時代に居酒屋で飲んでいてもカネ勘定をしながら注文していた。そういう日常は少しずつ心を病ませていくと思っているんです。ましてや先が見通せない今の状況は、人の気持ちをかなり追い込んでいる。誰もがボロボロのはずです。でもみんな、そうではないふりをして生きている」
石井監督は、映画や舞台、音楽といった文化芸術関係者の32.5%が今の状況下で死にたいと思ったことがある、という演劇緊急支援プロジェクトの調査結果を知り、その数字を切実に受け止めている。
「時々、もういいや、もう無理でしょ、と無力感に襲われることがある。それは僕だけではないと思います。そういう人に届けるべき映画って何だろうと考えたんです。きっとそれは綺麗ごとではすまないし、痛みを伴う話でなければならないと思いました」
5年前の2016年4月。石井監督は雑誌『エコノミスト』の取材で、映画で伝えたいことは何かと問われ、こう答えている。
〈優しさ、愛、夢、希望とか、つまり言葉にすると目を背けたくなるくらいうそくさいことです〉
だが、本作の公開に寄せた言葉にはこう綴られていた。
〈これまでは恥ずかしくて避けてきましたが、今回は堂々と愛と希望をテーマにして映画を作りました〉――。
一見、変わってはいない。しかし“目を背けたくなるくらいうそくさい”ものが真に求められる時代を、いま我々は生きている、その変化は見落としてはならないのではないか。
劇中、「社会的弱者」の母子は肩を寄せ合い、しかし愛も希望も叫ぶことなくただふたりの中のルールだけは破らずに、小さく生きている。
「私たちはいつの間にか、誰かが決めたルールに縛られて生活をしている。そのルールを破ると世間から指をさされてしまう。この映画の中で、精神的に追い詰められた母子が自転車の二人乗りをするシーンがあります。彼らにとってはとても重要な行為ですが、見方によってはただの違反です。ただ、世の中には一面的な見方では分からないことがある。苦しいなかでも強い結びつきをもった母と子が、ちゃんと生きる。そういう映画を撮りました」
いしいゆうや/1983年埼玉県出身。2007年、大阪芸術大学の卒業制作『剥き出しにっぽん』(05)でPFFアワードグランプリ受賞。以後、多くの作品を製作。近作は『生きちゃった』(20)。
INFORMATION
映画『茜色に焼かれる』
5月21日より全国公開
https://akaneiro-movie.com/