「高度の平凡性」からかけ離れていた小池都知事
皮肉なのは、小池百合子が『失敗の本質』の帯に推薦のコメントを寄せていることだ。
小池こそ、「高度の平凡性」からかけ離れている。なにしろ法的に不可能な「ロックダウン」を訴えたり、「ウィズコロナ東京かるた」などを披露したりし続けたのである。「高度の平凡性」を欠き、それでいて自分を非凡な政治家に見せようとする者ほど、奇策で目立とうとして、ますます「高度の平凡性」から外れていく。これが今日の日本の不幸である。
菅とて同様である。ワクチンの接種率で日本は世界100位以下という有様だ。予約での混乱や進捗の遅さから、今頃になって政府は予約システムの全国共通化の検討を始めたり、場当たり的に防衛省を巻き込んだりする始末であった。接種の準備にしても予約の仕方にしても、1年前から準備すればいいものをと誰しもが思うところだろう。
菅は「お花畑」でオリンピックの夢を見ているのか
こうした事態と対照的なのがイギリスである。ジャーナリスト・近藤奈香の「英国コロナ対策『大逆転』の勝因」(文藝春秋6月号)によると、コロナ対策で失敗を繰り返した英国であったが、国民の切実さを汲み、ワクチンの開発に取り組み、タスクフォースを組む。ジョンソン首相からその座長への依頼は、「人々の命をできる限り早く救ってほしい」の一言であったという。明確な目標のもと、英国はワクチンの入手や接種を進めていった。
対して日本はどうか。菅は「7月末目標」で高齢者接種を完了させると言うものの、自治体が国からのアンケートに8月以降になると答えようものなら、菅の影響力が強い総務省の役人が電話をし「意向をくんでください。努力目標でもいい。計画だけでも」(神戸新聞)、「厚労省でなく、うちが動いている意味合いは分かりますね」(中日新聞)などと圧力をかけ、見せかけの「7月末完了」を取り繕うことに精を出す有様だ。
ワクチン接種完了の目標は、菅にとっては選挙とオリンピックのため、役人にとっては菅のメンツのためのものであるかのようだ。多くの者はオリンピックがコロナ対策の足かせになっていると思っているが、菅にすればコロナがオリンピックの足かせになっている、そんな気分だろう。
その昔、“ネット民”はリアリズムを欠く者を「お花畑」と呼んだ。戦争こそが政治のリアリズムだとして、イラク戦争に反対する者をそう揶揄した。当世においてリアリズムを欠く夢想家は誰であろうか。
半藤はこうも著している(注3)。
――幻想、独善、泥縄的な発想は日本人の常なのであろうか。
いま、多くの日本人は「甘い幻想のなか、独善的にオリンピックを進め、場当たり的に後手後手の泥縄でコロナ対策をする」菅の姿を見る。その菅は「お花畑」でオリンピックの夢を見ているのか。
注1) 半藤一利『遠い島 ガダルカナル』PHP文庫
注2) 半藤一利、秦郁彦、保阪正康、井上亮『「BC級裁判」を読む』日経ビジネス人文庫
注3)半藤一利『ソ連が満州に侵攻した夏』文春文庫