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「自由に話せたという記憶はない」17歳で自殺未遂…言葉の詰まりを抱える男性が直面した“厳しすぎる現実”

『吃音 伝えられないもどかしさ』より#1

2021/05/29
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 名古屋市内のコメダ珈琲店で、私は中村の話を聞いていた。冷えた金属製のジョッキに入ったアイスコーヒーを時々口に運びながら、中村はゆっくりと話を進める。店内が賑やかになると話しづらいようで、周りの会話や、人の出入りが落ち着くのを待ってから、話を続けた。中村は、ノミを打って少しずつ石を削るように、一音一音を、力を込めて、懸命に外に出した。

17歳のときに自殺未遂した自分が訓練を開始した理由

 話が進んでいくほどに、中村のどもり方は強くなっているようにも感じられた。そして、ふと、タイミングを取るように頭を前後に動かしながら、中村はこう切り出した。

「自分は、一度、し、し、死、死のうと、思って……」

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 身体を力ませ、一語一語、いや、ときに一音一音に数秒をかけて、言葉にする。正面からじっと見つめると話しづらいかもしれないと思い、私は手元のジョッキに視線を下げつつ、彼の言葉の先を待った。すると中村の言葉は、自らが死の際に立った瞬間へと向かっていった。話すかどうか迷った末に、思い切って言葉にしたという感じだった。

「私は、高校を、中退、した、あ、あと、17、歳のとき、じ、自殺、未遂を、したことが……あり、ます。団地の、8、階から、飛び、降り、た、たんです。でも、下に、草の、茂みが、あって……。死ね、な、なかったん、です」

 それは、空が曇ったある秋の日のことだった。先行きも出口も見えない日々を自分自身で終わらせるべく、住んでいた公団の建物から飛び降りたのだった。

 飛び降りた直後から、記憶がない。気が付いたときは病院のベッドの上だった。大した怪我もなかったのは奇跡的だったが、中村にとっては、地獄のような日々から抜け出せなかった、という気持ちが残った。

 両親ともに、中村が飛び降りた理由について特に詳しく聞こうとはしなかったという。ただ、当時何かと口うるさかった父親は、それ以降、中村に対してほとんど何も言わなくなった。

 いずれにしても中村は生き延び、その後さらに18年を生き抜いてきたのだった。

 彼は、ほとんどひと言ずつ言葉につっかえ、顎を上げ下げし、身体を前後に動かしながら話し続けた。