「放送前、放送、され、るのが、怖くなって、しまい、ました。自分、の吃音のことは、いいんです。でも、自分、の、過去については、会、社の、人に、話し、た、ことも、なかった、し、あまり、知られ、たくは、なかっ、たんです。だ、だから、番組のあと、会社に、行き、づらく、なった、っていう、ことは、あり、ました」
抱えていた複数の問題は、小さな分銅一つで均衡を失ってしまう天秤ばかりのように、かろうじてバランスが保たれていたらしかった。そのバランスが、番組に出たことによってわずかに乱れてしまったのだろう。
番組への出演は、中村が自らその番組のホームページに自分の過去の経験を投稿したのがきっかけだった。投稿を見た番組側から、出演を依頼されたのだ。まさかそんな依頼を受けるとは思ってもいなかった中村は戸惑った。これまで家族にも話していない悩みや過去をさらけ出さなければならなくなるため、どうするべきか深く悩んだ。テレビで自分のどもる姿が流されるのも、考えるほどに恐ろしかった。しかし、吃音を持つ友人の言葉によって中村は出演を決意する。
「重い吃音をもつ人が、表に出てくることだけで、意味があると思うよ」
彼の吃音は、確かにそれほど重かった。
周囲に理解されず高校中退、バイトを転々と…
これまでの35年の人生で、自由に話せたという記憶はない。
中村が小学生だった80~90年代、世間の吃音への意識や理解は、現在とは大きく異なった。彼の記憶にある教員の1人は、場数を踏めば良くなるはずだと、授業中も中村にできるだけ発言するように促した。良かれと思ってやったのだろうと中村は考えているが、実際は逆効果で、ますます学校に行くのが辛くなった。
高校2年のとき、クラスメートのからかいに耐えられずに学校を中退し、それから何年にもわたって、家に引きこもった状態でほとんど誰とも話さずに生活してきたと彼は言った。
「高校、をやめて、から2年間、ぐらいは、何もしないで、過ごし、ましたが、20歳、ぐらいのころ、から、バイ、トを転々と、して、い、ました。そのうち、姉の、紹介で、ドーナツ屋で、働く、ことに、なりました。夜11時、から朝、7時まで、の仕事で、前の日の、後片付けとその、日の、朝売る分の、ドーナツを作る、んです。みなが帰ったあと、自分1人でやるので、誰とも、会わないで、よかったんです。だから、バイト、している、といって、も、いつも1人で、引き、こもっているのと、同じ、ような状態、でした」
中村は、人と話す必要のないその仕事が好きだった。何年か続けたあと、母親が居酒屋を始めるのをきっかけに辞めて、母の店を手伝うようになる。中村には姉と兄がいるが、2人ともすでに独立して家を出ていた。両親はこのころには離婚していて、父親とは一切のやりとりがなくなっていた。そうして、母と2人で暮らす中、母の店という安心できる働き場を得たのだった。