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 8月の半ば、デイサービスからの帰宅後、母の荷物に入っていた失禁で汚れたズボンを洗おうとしてトラブルが発生した。ズボンの中に、使用済みのリハビリパンツが入ったままになっているのに気がつかず、そのまま洗濯機に放り込んで洗ってしまったのだ。リハビリパンツの尿を吸った吸水ポリマーが洗濯槽の中に飛び散り、ズボン、そして一緒に洗った洗濯物に付着し、大変なことになった。一度全部洗濯物を出して、洗濯槽を可能な限り掃除する。床一面に新聞紙を敷き詰めたのち、洗濯物を空中で叩いて吸水ポリマーの粒を落とす。

 ズボンの中にリハビリパンツが残っていたのは、明らかにデイサービス側のミスだ。だが、これは責められないぞ、と思った。玄関に求人ポスターが貼ったままの小規模多機能型居宅介護施設、なかなかKさんの代わりの人が定着しないヘルパーさん、そしてこのデイサービス側のミス─おそらくだが、全部人手不足が原因だ。

 現行の公的介護保険のサービスは、人手不足で維持できるかどうか難しくなっているらしい。が、たとえそうであったとしても、私は抜本的な制度改革を行う立場にはないし、その知恵もない。自分にできること、やらねばならないことは、母の介護だ。状況がどうであろうと、母を介護し、母の人生をサポートし、きれいに全うさせねばならない。人生が映像作品なら、納期が許す限りにおいてリテイクできる。が、現実は待ったなし。今、この瞬間にうまくできるか失敗するかだけなのだ。

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「死ねばいいのに」が止まらない

 介護に割けるリソースは無限ではない。母の失禁の始末と汚れた衣類の洗濯、歩くのを嫌がる母をせっついての散歩、各種の通院の付き添い─やらねばならないことは増えていき、私にかかるストレスは、再度深刻になっていった。

 それに輪を掛けたのが、収入の減少だった。

 今、自分の預金口座の残高の推移を振り返ると、2016年後半から急速に残高が減っている。母にかかる手間が増えたことで、精神的にも時間的にも仕事ができなくなってきたのだ。

 通帳の額が減っていく恐怖は、体験者でないと理解できないだろう。減り方の曲線を未来に延長していけば、そこには確実な自分の破滅が見える。破滅から脱出したければ仕事をすればいいのだが、介護の重圧の前にそれもままならない。

©iStock.com

 幻覚が出た2015年春とは、少々違う形ではあるが、再度、私は精神のバランスを失いつつあった。この頃から、何かと「死ねばいいのに」という独り言が出るようになった。一度は、雑踏の中を歩いている時に、なんの脈絡もなしにこのフレーズがポロッと口から出て来たりもした。前を歩いていた若い女性、あれは女子高生だったか─が、ビクッと体を震わせて、私を避けていったのが印象的だった。

 主語はない。

 が、明らかだ。

「母が死ねばいいのに」だ。母が死ねばこの重圧から自分は解放される。が、それを口に出すのはためらわれるので、主語なしの「死ねばいいのに」なのだ。これだけ自分で自分を分析できるのに、それでも口を突いて出る「死ねばいいのに」を止めることができなかった。

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