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親方にとって手のかかる新弟子だった

 当時、父親の正人さんは、私の取材にこう語っている。

「高校までの俊は、手のつけられないほどのワルではなかったのですが、同級生をいじめたとされて無期停学処分を受けた。そのあとすぐに喫煙が発覚し、自主退学となったのです。もともと格闘技の好きな子でしたから、将来は『K-1』の道に進みたいという思いもあり、知り合いの誘いに応じ、時津風部屋に入門を決めたのです」

 2007年4月、俊さんは時津風部屋に入門。翌月の東京場所の初土俵では1勝3敗に終わるものの、場所後に「時太山俊」の四股名を与えられた。

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 入門直後から俊さんは素行不良を咎められることが少なくなかった。近隣住民に喫煙を注意されることもあった。五月場所の後には部屋から度々スカして(逃げ出して)いる。いずれも相撲部屋の生活になじめず、兄弟子たちからの制裁に耐えかねてのことだった。親方にとって手のかかる新弟子だったのは間違いないだろう。

入門したばかりの新弟子、時太山(本名・斉藤俊さん)

 7月の名古屋場所にむけて、犬山市の宿舎に移動したのは6月22日。俊さんはその3日後の25日の朝にも宿舎から逃亡をはかるが、このスカシがリンチの引き金となったのだ。宿舎近くのコンビニで俊さんを見つけた兄弟子たちは、近くの河原に連れ出し、俊さんに跳び蹴りや殴打を加えた。俊さんの顔はみるみる腫れ上がり、履いていた靴は脱げ、泥まみれになっていた。

ビールの空き瓶で殴打

 暴行は続いた。その日の18時過ぎ、宿舎のチャンコ場(食事場)でのことだ。時津風親方は俊さんを傍らに正座させ、ビールを飲みながら説教を垂れていた。周囲を、10人ほどの幕下以下の弟子たちが囲む。正座がきつくなった俊さんが膝を崩すと、すかさず兄弟子が罵声を浴びせながら蹴り倒し、顔を踏みつけた。

 こうした弟子による暴行の間もビールを飲み続けていた時津風親方は、大瓶5~6本を飲み干したところで、空き瓶を逆さに握り、自ら俊さんの体を叩き始めた。

 やがて感情が高ぶったのか、瓶の底で頭部を狙って、何発か叩いた。そのうちの1発が額に入り、2~3センチほどぱっくりと割れた。鮮血が顔に垂れかかると、親方は弟子たちに向かってこう言った。

「お前らもやっていいから」

 師匠の指示で動いたのは、3人の兄弟子。

「こいつに気合い入れてきます」