正視できない遺体の惨状
俊さんの亡き骸が新潟の実家に帰ってきたのは、その日の23時頃だった。遺体の付き添いは葬儀社の職員2名のみ。時津風部屋の人間は誰もおらず、遺体に添えられた「心不全」の死亡診断書は、正人さんにとって、まるで荷物の「送り状」のように感じられたという。
遺体は「心不全」という病名から想像のつかない惨たらしさだった。全身どす黒いアザだらけ。頭部に巻かれたバスタオルを外すと、傷だらけの顔はいつもの倍の大きさに腫れあがっている。唇と耳は裂けて出血するなど、家族にとってとても正視できるものではなかった。
正人さんから何枚もの遺体写真を見せてもらったが、額の中央やや右寄りに2センチほどの裂傷があった。親方にビール瓶で叩かれた時に負った傷だった。
「心不全と聞いていたから、まさか俊の遺体が傷だらけとは思ってもみなかった。心の準備ができておらず、遺体を目にして仰天しました。家内や義母も悲鳴を上げて半狂乱状態でした。小学3年だった俊の妹に、『見ちゃだめ!』ととっさに家内が抱き締めたのですが、遅かった。その後しばらく娘は、俊の部屋に足を踏み入れられませんでした」
「公費承諾解剖」により死因が明らかに
茫然自失状態の正人さんをよそに、行動を起こしたのは、妻の利枝さんだった。すぐさま時津風親方の携帯を鳴らし、病名と大きく異なる遺体の状況を激しい口調で質した。
時津風親方は要領を得ない説明を繰り返すばかり。不信感を募らせた利枝さんは、翌日の午前中に愛知県警犬山署にも電話を入れ、事実関係を確かめたが、「事故死で事件性はありません」との回答だった。
正人さん夫婦への説明のため、時津風親方が妻をともない新潟に到着したのは同日15時頃のことだった。斉藤家の人々が遺体を指し、説明を求めても、親方は俊さんから目を背け、「稽古の上でのこと……」と答えるのみ。正人さんら遺族は、親方の態度に何かを隠しているのではないかと疑念を抱いたという。
時津風親方の説明に納得のいかない正人さんと利枝さんは、一度決めていた通夜、告別式の日取りを白紙に戻す。そして親族の反対を振り切り、地元の新潟県警に相談。新潟大大学院法医学教室での「公費承諾解剖」(遺族の承諾を得て、公費で行う解剖)に漕ぎつけるのだ。
鑑定の結果は「多発外傷による外傷性ショック死」。暴行による殺人だった。
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