稽古場脇の物置に俊さんを押し込むと、3人は、10分間ほど殴る蹴るの暴行を加え、さらには稽古場の鉄砲柱に縛り付けて執拗に殴り続けた。
朦朧とした状態の俊さんが再びチャンコ場の親方の前に連れ戻されたのは、23時を回っていた。師匠の指示による暴行が始まってから1時間以上が経っている。
「心を入れ直して頑張りますので、もう一度チャンスを下さい」
息も絶え絶えで発した俊さんの言葉を、「ダメだ」と師匠は聞き入れることなく自室に下がった。
愛知県警は「事件性なし」
翌26日の暴行も苛烈を極めた。朝稽古終了後、見学者を稽古場からわざわざ遠ざけた親方は、兄弟子たちに命じ、俊さんにぶつかり稽古を命じる。前夜に散々痛めつけられている俊さんはすぐに息が上がり、数分後に倒れ込んだ。
そして前夜同様の集団リンチが繰り返された。ある力士は金属バットを持ち出した。「やめとけ」と親方がさすがに制止したが、裏山から拾ってきた太い枝で打擲し始めても、それを止めることはなく、じっと見守っていたという。
11時過ぎ、俊さんは土俵に突っ伏したまま意識を失う。親方は、そんな俊さんを稽古場の壁際に座らせ、まるで弄ぶように数分間にわたりホースで水を噴射させたり、湯をかけるなどしたのだ。
心肺停止状態となったのは12時40分頃。命が危ないと思った部屋の若い衆が、119番で救急車の出動を要請し、搬送先の犬山中央病院で死亡が確認された。
病院は死因を「急性心不全」と診断。さらに愛知県警は遺体の検視を怠ったにもかかわらず、病名を「虚血性心疾患」に換え、「事件性なし」と発表したのだ。
「俊が死にました。死因は急性心不全です」
父の正人さんは、時津風親方からの連絡で、息子の死を知ることとなるが、当時の様子を次のように語っていた。
「親方の口調は本当に事務的だった。すぐに愛知県警犬山署の警察官に受話器を渡したのです。警察官から俊の生年月日や病歴を尋ねられました。俊が死んだと知り、パニック状態になった私には、不審な点を質問する余裕はなかった。『急性心不全』。ただその言葉だけが頭の中をぐるぐる回っていました」